「わたのはら八十島かけて漕ぎ出でぬと…」参議篁

こんにちは。左大臣光永です。年の瀬も押し迫ってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?

私は昨日、日中、学習院大学漫画研究会の40周年記念式典でスピーチをやって、その足ですぐに静岡に行って百人一首の講演をしてきました。強行軍な一日でした。さらに今週末は多摩で足利将軍家について講演しますので、バタバタしたことです。

さて、先日再発売しました「百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説CD-ROM」。
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本日のメルマガはこの商品の内容にあわせ、百人一首より11番参議篁です。静岡同志社クラブ主催の「市民古典歴史講座」の録音です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Lect011.mp3

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと
人には告げよ海人の釣り船

参議篁

わたの原というのは大海原。海です。大海原のたくさんの島々がひしめいている、その島々めがけて、あの男は漕ぎ出していったよ、そう都に残してきた愛しい人々に告げておくれ。漁師の釣り船よ。

島流しを前にして

島流しになるんですね。これから。主人公はこれから島流しになります。

難波の海を出港して、瀬戸内海を通って、関門海峡を越えて、山陰のほうに出て、はるか隠岐の島まで島流しになる。

隠岐島へ
隠岐島へ

で今まさに難波の海から出港しようという時にですね、この作者小野篁が、ハッと傍らを見ると、漁師の釣り船がそこにあって、その無生物である漁師の釣り船に語り掛けている。

漁師の釣り船よ、都に残してきた愛しい人に…歌で「人」という時には、漠然とした「人間」のことではなくて、たいがい愛しい人、何らかの親密な関係にある人。恋人であったり家族であったり、親友であったり、そういう、特別な「人」のことです。

漁師の釣り船よ、都に残してきた愛しい人々に告げておくれ。あの男は大海原の島々をめざして漕ぎ出していったよと。これから島流しになるんですけれども、あんまり悲痛な感じというよりも、雄大な雰囲気が出ていますけれども、

むしろ、その悲しい雰囲気を隠すために慰めるために、こういう雄大な詠みっぷりになっているのかもしれません。

作者・小野篁

作者の小野篁。参議篁。平安時代初期の学者であり、文章家であり、たいへん文才があった人物です。また陰陽道をよくした、ということで、あの安倍晴明のような世界にも関係していたということで、いろいろと怪しい伝説がある人物です。

たいへん頭がキレます。頭がよかったです。だから時の嵯峨上皇のご寵愛をたいへん受けまして、嵯峨上皇のもとで出世していきますが、少しこの男はひねくれていました。

遣唐使の遣唐副使として中国に向かえと言われて、これを拒んで、病気と偽って家で寝ていたんですね。実はそれ以前に二回ほど遣唐使に命じられた、ということが言われています。

一回目出港して、船が沈んで、命からがら戻ってきた。

二回目また沈んで、また戻ってきた。

三回目に、もういい加減にしてくれ。付き合いきれない。で、家でふてくされて、病気だと偽って寝ていた…だけならば、嵯峨上皇はお怒りにならなかったかもしれないですけれども、この小野篁、たいへん文才のある男でした。文章が立つ。

「いっちょ、からかってやろう」

遣唐使というものが、今の時代にこの小野篁の時代に、いかに時代にそぐわないか、いかにバカバカしいかということを、つづった長編の詩を作りまして、発表しました。

「おのれ篁、いい加減にせいよ!」

ここに至り、嵯峨上皇さまのお怒りがバクハツします。

ちなみに皆さま、嵯峨上皇ときいて、ピンときますでしょうか?

嵯峨上皇は弘法大師空海に、京都の東寺を与えた、上皇さまです。だからちょっと空海よりも…数十年後の時代の人物です小野篁は。

遣唐使は時代遅れ

この時代もう遣唐使なんて時代遅れなんですよ。

それは、唐王朝も衰退していますし、なにより航海がキケンでした。成功率は五割だったとも伝えられます。

五割沈んじゃう。

しかも、遣唐使として中国に派遣された留学生というのは、もうエリート中のエリートですよ。

学問も、武芸も立つ。しかも外交使節ですから、容姿も優れていないといけませんでした。

何から何まで完璧なような人たちが選ばれた。それが遣唐使です。

それが、五割の確率で沈んでしまう。これ、メチャクチャ国家にとって損失じゃないですか。

これから国家を担う、未来を担う優秀な若者たちが、海に沈んでしまう…

こんなばかばかしいことはないです。遣唐使なんてものは、ぜんぜん時代にあわないと、そういう声も上がっていたわけです。

だからそういう背景があって、小野篁も遣唐使をこばんだ。それが嵯峨上皇さまのお怒りにふれて、流されることとなりました。

小野篁の地獄通い

そしてこの小野篁という人物はですね、いろいろと怪しい伝説がある人です。

昼間は宮中で役人として働きながら、夜になると京都の六道珍皇寺というお寺の裏手の井戸から、するするするすると蔦を伝って、地下世界に降り立ち、地獄で、閻魔大王の裁判の助手をしていたと、伝えられます。

小野篁をまつった六道珍皇寺
小野篁をまつった六道珍皇寺

小野篁をまつった六道珍皇寺
小野篁をまつった六道珍皇寺

でこの、写真にございます六道珍皇寺というお寺がですね、現在も残っておりまして、小野篁が地獄に通うのに使ったという井戸があります。夏の、お盆の間だけ公開されているんですが、ふだんも、のぞき窓からこのようにのぞくことができるので、このように家族連れでのぞいている姿が見られるわけです。

で、一晩中エンマ大王の助手を務めた小野篁は化野の福生寺の井戸もしくは蓮台野の千本閻魔堂の井戸から地上に戻ってきたと伝えられます。

小野篁の地獄通い
小野篁の地獄通い

どうですかこの、入る所と出る所が違っているあたりなんか、いかにも「秘密の通路」っぽくてワクワクするんですけども。実になんか、男の子心をそそられるものがあります。

寅さんと小野篁

ちなみに、東京にも小野篁をまつった神社があることをご存じでしょうか?

東京の下町・下谷にございます。その名を、

小野照崎神社
小野照崎神社

小野照崎(おのてるさき)神社、といってですね、樋口一葉の「たけくらべ」にも登場する神社です。この小野照崎神社が小野篁をまつった東京の神社です。この照崎神社の何が有名といって、

寅さん。

寅さん

寅さんが、渥美清さんが、若いころに小野照崎神社に参詣して、いい役をくださいと祈ったところ、寅さんのオファーが来たということで、芸能の神様として信仰を集めています。

だから、寅さんと、小野篁がですね、実にこう…見てください。この小野篁と寅さんが、意外な所でつながるじゃないですか。私なんかこうこの二人だったら、どういう会話をするかなと、考えるんですよ。

「車寅次郎、そのほうが世にあるのは我がおかげぞ」

「そいつを言っちゃえおしめえよ」

とか話してるかなと、そんなことを妄想しながら歩くと、旅もなかなか味わい深くなるんじゃないでしょうか。

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと
人には告げよ海人の釣り船

参議篁

次回も百人一首の話題をお届けします。お楽しみに。

というわけで

発売中です。

百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説
http://sirdaizine.com/CD/Ogura100info2.html

百人一首のすべての歌・すべての歌人について
詳しく、楽しく、わかりやすく語ったCD-ROMです。

特典の「平安京 名士・名所案内」は2015年5月に
同志社大学OB会で行った講演の録音です。
2017年1月10日お申込みまでの早期お申込み特典となります。
お早目にどうぞ。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。