「筑波嶺の峰より落つるみなの川…」 陽成院 ほか

こんにちは。左大臣光永です。週の半ばいかがお過ごしでしょうか?

私は今週金曜日、東京多摩永山公民館にて、13時30分より「足利将軍家の興亡」の講演をします。今回は足利高氏とその弟直義の対立「観応の擾乱」についてお話しします。東京近郊の方はぜひ聞きにいらしてください。
http://www.tccweb.jp/tccweb2_024.htm

さて、先日再発売しました「百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説CD-ROM」。
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本日のメルマガはこの商品の内容にあわせ、百人一首より13番陽成院と14番河原左大臣です。静岡同志社クラブ主催の「市民古典歴史講座」の録音です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Lect013.mp3

13番陽成院。

筑波嶺の峰より落つるみなの川
恋ぞつもりて淵となりぬる

陽成院

筑波山の峯から流れ出して、男女川が桜川に流れ込み、やがて霞ヶ浦に注いでいく。そんなふうにこんこんと湛える男女川の淵のように、私の恋心は溢れかえっているのです。

筑波山から湧き出す川のように、あふれる恋心

筑波山は西の男体山と東の女体山から流れ出した男女川という川がですね、やがて桜川に流れ込んで、霞ヶ浦に注ぎます。その、こんこんと流れる男女川のように、こんこんとあふれかえっている、私の気持ちです。

筑波山
【筑波山】

あなたに対してもう恋心が溢れかえっています、と。この歌を贈った相手は光孝天皇の第三皇女のスイ子内親王という方ですが、結局この恋は成就しまして、このスイ子内親王という方は陽成院の後宮に入ったということです。

だから成就した恋なんです。それを考えてもめでたい感じの印象を受ける。これが男女川のり源流です。このように、男体山と女体山の山頂からこんこんと流れ出して注いでいる。また字も「男女」川と書きますので、何か艶っぽいことも重なっているのか。

あふれる恋心をたとえるのに男女川をたとえとして、歌った歌です。

作者 陽成院

作者の陽成院は、57代目の天皇です。生後数か月で皇太子に立てられました。9歳で、父である清和天皇の譲位を受けて、即位しました。

母親は、あの在原業平と若いころ恋愛関係にあったという伝説のある、藤原高子という女性です。清和天皇と藤原高子との間に生まれたのが陽成天皇。後の陽成院です。

で9歳ですから、政治のことは何もできませんので、摂政の藤原基経が政治上のことは行いました。しかしこの藤原基経と陽成天皇の関係がだんだん悪化していくんですね。

それは、この陽成天皇というのはいろいろと奇行が多かった。一説には脳に異常があったのではないか?とも言われている天皇です。

宮中で馬を乗り回したり、また宮中で人を殺した、という説もあります。そのような乱行がたえなかったので、やがて、在位8年目にして摂政の藤原基経が、もう辞めていただくしかないですねと、半ば強引に退位させました。

退位した時17歳。以後の60年あまりのご生涯を上皇としてお過ごしになりました。上皇といってもこの時代まだ「院政」というものはありませんので、文字通り無為に、為すこともなく、無為な日々をお過ごしになったのかなあと思われます。

そのように宮中で人を殺したり乱行の話もある天皇ですが、この歌からはそういう怪しげな感じはまったく伝わってこない。たいへんさわやかな、ストレートな恋の思いをぶちまけている、そういう素直な感じが出ています。

筑波嶺の峰より落つるみなの川
恋ぞつもりて淵となりぬる

陽成院


14番河原左大臣。

みちのくのしのぶもぢずり誰ゆえに
乱れそめにし我ならなくに

河原左大臣

みちのくのしのぶもぢずりの摺り模様のように、わーーっとこんなにも、私の気持ちはかき乱されています。それは誰のせいだと思いますか。他ならぬあなたによって、こんなにも気持ちをかき乱されているのです。

つまりあなたが恋しいので、その恋心で気持ちがわーーっとかき乱されて、心の中がかき乱されているという、恋の歌です。

摺り模様のように、かき乱される恋心

「みちのくのしのぶもぢずり」というのは、いくつか説があるんですけれども、東北の福島県の特産で、岩の上にですね、布をしいて、その布の上に草をまいて、それをこう、木槌やなんかでバシバシ叩く。

すると草のエキスが布にしみこんで、しかも、その下にしいている岩のゴツゴツ感と相まって、そこにじわーーっとした、かき乱れたような模様ができるわけです。

それが、よくみちのくのしのぶもぢずりというと、恋心にかき乱される胸の内を象徴する、たとえとして使われます。

作者 河原左大臣

作者の河原左大臣源融。

嵯峨天皇の第十二皇子です。嵯峨天皇の第十二皇子が臣籍に降下しまして源融と名乗った。で嵯峨天皇の皇子が臣籍に降下して源氏になったので、いわゆる嵯峨源氏の初代です。

みなさま、「臣籍降下」というのはおわかりでしょうか。光源氏がそうなったものです。現在も、行われています。

臣籍降下というのは、皇族の方が、臣下の身分に下るわけです。まあ現在でも、たとえば愛子内親王が、将来民間の男性と結婚したら、臣籍に降下することになります。しかし、この時代の臣籍降下は、現在の皇室の臣籍降下とは性質が違い、

昔は、お妃さまが何人かいらっしゃるわけです。だから、たくさん皇子・皇女が生まれます。皇室に人が増えすぎると、国家財政がハタンしますので、もうある程度の所で民間に、臣下の身分に下ってもらわないと困る。

で、ご存じのように天皇家の方には名字がありませんので、臣籍に降る時に、名字を名乗るわけです。それが源とか、平という姓を名乗る…で、源融は嵯峨天皇の皇子が臣籍に降って源氏となりましたので、いわゆる「嵯峨源氏」の初代となります。

この源融。たいへん出世しました。左大臣にまで出世しましたが、さきほどの陽成天皇の摂政をつとめました藤原基経に出世競争で先を越され、藤原基経が太政大臣に就任しましたので、それでへそを曲げてかどうだか、一時嵯峨の別荘に引きこもりまして政界から退きます。

しかし次の光孝天皇の時代に政界に復帰しました。

河原院とは

源融はたいへんな風流人として知られます。あの、光源氏のモデルの一人と言われます。河原院というですね、広大なお屋敷を京都の鴨川のほとりに築きまして、ここで風流の限りを尽くしたと言われています。

鴨川から水を引いて池にたたえ、また難波の海から塩水を持ってきて、池のほとりで塩焼きをたいて風流を楽しんだと伝えられます。

この河原院というのはほとんど現在跡地が残っていないんですけども、鴨川のほとり。高瀬川の…すぐ横にですね、こういう榎の木が立っていて、そこにここが河原院だよという印が残っています。

説明によると、東本願寺より広かった…あの広大な東本願寺の敷地より広かったということです。源氏物語の光源氏が、六条院という大きなお屋敷を築きますけれども、その元ネタになっているのが源融の河原院だと言われています。

融が死にまして、息子の昇(のぼる)が河原院を相続します。すると昇はこれを時の宇多上皇に献上しました。ある時宇多上皇がこの河原院でお休みになっていた。すると、枕元にぬぼーーーと立つ姿がある。

「あっ、お前は…融ではないか」

融の幽霊が立っている。

「上皇さまが、河原院にお住まいですので、キュウクツでなりません」

そう言われて宇多上皇は、

「お前の子孫が私にくれたのだ。奪ったわけではないぞ」

と一喝すると、すーーと融の霊が消えて行ったという話が伝わっています。

河原左大臣源融です。

みちのくのしのぶもぢずり誰ゆえに
乱れそめにし我ならなくに

番河原左大臣

明日は、百人一首より15番光孝天皇の歌です。お楽しみに。

というわけで

発売中です。

百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説
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百人一首のすべての歌・すべての歌人について
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特典の「平安京 名士・名所案内」は2015年5月に
同志社大学OB会で行った講演の録音です。
2017年1月10日お申込みまでの早期お申込み特典となります。
お早目にどうぞ。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。