百人一首「君がため春の野に出でて若菜摘む…」光孝天皇ほか

こんにちは。左大臣光永です。東京では初雪が降りました。
けっこうな寒さです。お住まいのご地域ではいかがでしょうか?

私は明日金曜日、東京多摩永山公民館にて、13時30分より「足利将軍家の興亡」の講演をします。今回は足利尊氏とその弟直義の対立「観応の擾乱」についてお話しします。東京近郊の方はぜひ聞きにいらしてください。
http://www.tccweb.jp/tccweb2_024.htm

さて、先日再発売しました「百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説CD-ROM」。
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すでに多くのお買い上げをいただいております。ありがとうございます!特典の講演録音「平安京 名士・名所案内」は2017年1月10日お申込みまでです。お申込みはお早めにどうぞ!

本日のメルマガはこの商品の内容にあわせ、百人一首より15光孝天皇と16番中納言行平です。静岡同志社クラブ主催の「市民古典歴史講座」の録音です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Lect015.mp3

君がため春の野に出でて若菜摘む
わが衣手に雪は降りつつ

光孝天皇

若菜摘みの歌

さわやかな清涼感のある歌です。あなたのために春の野に出て若菜摘みをしている、私のその袖に雪が降り続けています。たいへんサワヤカな、心も洗われるようじゃないですか。

「若菜摘み」というのは初春の草を摘んで、それを食べて、邪気払いにするという習慣で、現在も七草粥としてしの習慣が残っています。春の七草。みなさん言えますか?

芹、なづな、ごぎょう、はこべら、仏の座、
すずな、すずしろ、これぞ七草

リズムよく覚えてください。時々こういうのを思い出してですね、脳ミソを鍛えていないと、最近名前と顔が一致しないよね、ということになりますので、油断なく、ビビビッと脳ミソを使っていきましょう。

光孝天皇

作者の光孝天皇。さきほどの陽成天皇が摂政の藤原基経になかば強引に退位させられたのを受けて即位した天皇です。

陽成天皇が退位させられた時に、まだ17歳で跡取りがいませんでした。なのでここで、文徳・清和・陽成とつづいた文徳系の皇統が絶えまして、

天皇家系図
天皇家系図

文徳天皇の弟までさかのぼって、当時55歳の高齢でありました、光孝天皇を即位させました。即位したといってもですね、政治上の実験は関白の藤原基経が握っていましたので、ご自身が政治にタッチできることはほとんどなかったようですが、学問・風流を愛する、気性の優しいお方だったと伝えられます。

こんなにさかのぼりましたからね。誰も天皇になれるなんて思っていなかった。思わぬこう、役が回ってきたわけです。だから皇族ではあっても、たいへん貧乏であった。

自炊をして、部屋の中が煤で真っ黒けになっていたという話も伝わっています。そして在位4年目にして病にかかり、お亡くなりになりました。

4年目に病にかかった時に、関白の藤原基経が、誰を次の帝位につけよう、ということで、光孝天皇の第七皇子が源定省(みなもとのさだみ)といって、臣籍に降下して源氏になっていましたが、この源定視省をふたたび親王の位に戻し、皇太子に立てました。後の宇田天皇です。

ちなみに、光孝天皇・宇多天皇というと、あまり馴染みがないかもしれませんけれども、光孝天皇が勅願して、「このお寺を建てなさい」と命じて、次の宇多天皇の時代に完成した京都のお寺があります。

何でしょうか?

御室桜で有名な…

仁和寺です。

あの広い、広い、仁和寺。仁和寺というお寺はですね、光孝天皇が勅願して、次の宇多天皇の時代に完成した京都のお寺です。

君がため春の野に出でて若菜摘む
わが衣手に雪は降りつつ

光孝天皇

ちなみにですね、この歌は一番の天智天皇「秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ我が衣手は露に濡れつつ」とよく間違えるんですね。

「秋の田の仮庵の庵の」

バシィーー

と取ると、わが衣手に、あら…雪はふりつつのほうを取っちゃった。

だから、

秋の田の仮庵の庵の歌かるた
取り損なって雪は降りつつ


立ち別れ因幡の山の嶺におふる
待つとし聞かば今帰りこむ

中納言行平

あなた方とお別れして、私は行ってしまう。その行ってしまう先である因幡の国で、その因幡の山の嶺に生えている松。その松、という言葉のように、あなた方が一言、「待つ」と言ってくれるならば、私は今すぐにでも帰ってきますよ。

因幡守として赴任していく際の、離別の歌

これから、因幡守として遠く因幡国に赴任していくわけです。鳥取のほうに。任期は4年から5年でした。そのまさに、出発しようという在原行平を見送ってくれた人々に、行平が返している歌です。

「いなば」という言葉に「行ってしまえば」という言葉と「因幡」という地名を掛け詞にして、「まつ」という言葉に植物の「松」とあなたを「待つ」waitの待つを掛け詞にして、別れの気持ちを詠んでいます。

あなたが、「待つ」と言ってくれればすぐにも帰ってきますよ。朝廷の命令で行ってるんだから、「待つ」と言われたところでぴゅーと帰ってこれるわけはないんですけども、そういう気持ちをこめているわけです。

これからお別れして、任期の4年から5年会えないけれども、あなた方が待っているといってくれれば、いつでも帰ってきますよ。その、別れの切実な歌です。

作者 在原行平

作者の在原行平。あの有名な在原業平の腹違いの兄です。

在原氏 略系図
【在原氏 略系図】

系図をご覧いただきたいんですが、行平・業平兄弟は、平城天皇から出ているわけです。桓武天皇の第一皇子・平城天皇という方がですね、その息子の阿保親王の、次の代で臣籍に降下しまして、在原の姓を名乗りました。

なぜ、こういうことになったのか?

行平と業平兄弟のおじいさんにあたる、平城上皇が、ちょっとやらかしちゃったんですね。何をやらかしましたか?

どなたか、歴史で習ったという記憶がございませんでしょうか?

これは、平城上皇という方は、もう弟の嵯峨天皇に位を譲ってですね、平城上皇となっていたわけですが、810年という年に、何を思ったか、もう一度世は天皇の位に返り咲き、都を平安京から平城京に戻すぞと言い始めました。

で、今上帝である嵯峨天皇は、そんなことは認められない、ということで、将軍坂上田村麻呂をもって各地の道路を封鎖しまして、平城上皇は捕らえられて、奈良に幽閉され、以後、生涯政治にかかわることは許されませんでした。

その平城上皇の息子が阿保親王です。阿保親王は父の反乱には加担しませんでしたけれども、息子ということで、ただではすまされなかった。遠く大宰府に流されます。

大宰府に14年すごしました。14年目の824年に、父である平城上皇が亡くなったので、ようやく罪許されて京都に戻ることを許されました。

その翌年に生まれたのが在原業平です。

こういう、皇族から出ているわけですが、こういう出生に暗い影がさしている兄弟なわけです。

須磨に流された在原行平

在原行平で最も有名な歌は

わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に
藻塩たれつつわぶと答へよ

この歌が一番有名かと思います。行平の歌としては。「わくらばに」はたまたま、偶然。たまたま私のことを質問する人があったら、言っておいてくれ。あの男は須磨の浦で藻塩たれるように涙にくれつつ侘しい思いをしているよと。

これは、ハッキリとした事情はわかりませんけれども、何か、罪を受けて、須磨に流された在行平が、おそらくその須磨の地に都の友人が訪ねてきた。その友人に、都に残してきた友人たちへのことづけを頼んでいる歌です。

たまたま私のことを尋ねる人があったら言っておいてくれ。あの男は須磨の浦で藻塩たれるように涙にくれつつ侘しく暮らしているよと。

藻塩たれるというのはですね、塩を生成する時に海藻の藻をザバッと海水に浸して、その海藻を燃やしてその灰を蒸留して、塩を生成しました。だからその第一段階で、海藻をザバッと海水につける。それをこう持ち上げるとポタポタポタポタ、塩水が垂れるじゃないですか。

その様子が、涙に沈んでいることに似ているので、「藻塩垂れる」というのは涙にくれることのたとえです。そんなふうに、あの男は涙に暮れているよ、という話です。

「須磨に流された貴公子」のイメージ

事情はわかりませんけれども、とにかく反逆者・平城上皇の孫という出生を持った貴公子・在原行平が遠く須磨の地に流された。侘しい思いをした。

というイメージを元に、ずっと後の時代になってから、長い、物語を書いた人物がいますね。おわかりでしょうか。

紫式部。

源氏物語は、桐壺から順番に書き進められたわけではなくて、須磨の巻から書き始められた、という説があります。

これは紫式部が、その昔、在原行平さまが、遠く須磨の地に流された、そして悲しみの涙に暮れたという言い伝えを元に、何らかの理由で、まだ理由も決まっていないし、主人公の名前も決まっていない。

とにかく、貴族の若者が、遠く須磨の地に流されたという話が書き始めて、その前後を広げていって、あの源氏物語ができた、のではないか?という一つの説が言われています。

立ち別れ因幡の山の嶺におふる
待つとし聞かば今帰りこむ

中納言行平

明日は、17番在原業平の歌をお届けします。お楽しみに。

発売中です。

百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説
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百人一首のすべての歌・すべての歌人について
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特典の「平安京 名士・名所案内」は2015年5月に
同志社大学OB会で行った講演の録音です。
2017年1月10日お申込みまでの早期お申込み特典となります。
お早目にどうぞ。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。