百人一首 「わびぬれば今はた同じ難波なる…」元良親王 ほか

こんにちは。左大臣光永です。今日は太陽がアカアカとまぶしく、それでいて風は肌寒く、いかにも秋だなァという一日でしたが、いかがお過ごしだったでしょうか?

私は毎日の日課として、近くの寺で発声練習をしていたら、住職さまの奥様が話しかけてきて、リンゴをいただきました。それで世間話をしてきました。最近は寺の運営も大変ということで、葬式をしても、その後の納骨代を払わないでトンズラしてしまうという方がある、ということでした。お骨が放置されちゃうんですね。

山手線の吊棚に、お骨が置き去りにされるケースも増えているということです。捨てると罪になりますけども、遺失物、という扱いになりますからね。なんぼかマシという考えからでしょうか。それにしても人生の最期が山手線の吊り棚の上では報われませねえ…

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さて「左大臣の古典・歴史の名場面 」本日、第719回目は、百人一首より20番・元良親王、21番・素性法師、22番文屋康秀です。静岡同志社クラブ主催の「市民古典歴史講座」の録音です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Lect020.mp3

わびぬれば今はた同じ難波なる
みをつくしてもあはむとぞ思ふ

元良親王

私はこんなにも歎き悲しんでいますので、もう今となっては同じことです。難波の海にあるみをつくし。そのみをつくしという言葉のように、身を尽くしても、とことん自分を追いつめて破滅になっても、あなたにお会いしたいと思います。

密通がバレた時の歌

もう、メチャクチャ自分は身の破滅なんだけども、最後にせめてもう一回会いたい。だいぶ追い詰められた感じです。

どういう状況かというと、密通がバレたんですね。

作者の元良親王は、13番陽成院の第一皇子です。在原業平よりも人世代後の人物ですけども、今業平、とも言うべき、たいへん風流を愛する貴公子で、また女性関係がハデでした。

とうとう、手を出してはいけない女性に手を出してしまった…それは宇多上皇がご寵愛していた女性に、その女性の元に通ったわけです。それがバレまして、身の破滅だ。ああ、もうおしまいだ。しかし…もうどうせお終いならば最後にもう一回だけ会いたい。会うぞ!そういう気持ちです。

みをつくし=澪標=水脈つ串

澪標、というものはですね、水中にさしてある標識です。船の航路を示すために、現在でいうブイの役割をするものです。当時は京都に物資を運ぶのに、淀川から難波の海に船が出て行く、難波の海から淀川に船が入っていく。

その出入りする船が、ヘタな所通ると座礁してしまうから、そこに、航路を示す標識が必要です。澪標、と書きますが、水脈つ串と書いたほうが意味が通じやすいんじゃないでしょうか。

水路をあらわすための、ぷすっと挿してる、水中にさしてる串のこと。これを澪標といいます。そしてみをつくし、という言葉の響きから、「身を尽くす」…とことんまで自分を追い込むとか、身の破滅であるといった意味の、「身を尽くす」に掛詞にされます。「みをつくし」は「身を尽くす」に掛詞にされることです。

作者 元良親王

作者の元良親王。13番陽成院の第一皇子。陽成院は藤原基経によって退位させられたんですけども、その時はまだ生まれていなかったので、光孝天皇のほうに皇統が移ってしまいましたけども、その後に生まれた息子です。

風流を愛する貴公子であったけれども、宇田上皇の寵愛する女性に通じてしまったために身の破滅となった。身の破滅となって、具体的にどうなったかは記録が無いのでわからないんですけとでも、こういう歌が残っているわけです。

この元良親王は大変声がでかかった、という話が『徒然草』に書かれています。元旦の歌を天皇に奏上する、その声が、平安京の大極殿から鳥羽の作り道まで聞こえた、ということです。

鳥羽の作り道といっても、京都と鳥羽の間のどのへんを指すかによりますが、少なくとも何キロくらいですかね…56キロあります?34キロですかね?とにかく結構な距離届いたらしいんですよ。それくらい声がでかかった。負けられないなって感じがします。

わびぬれば今はた同じ難波なる
みをつくしてもあはむとぞ思ふ

元良親王


今こむと言ひしばかりに長月の
有明の月を待ち出でつるかな

素性法師

今夜行くよと、あなたが約束したばかりに、一晩中待ちわびてとうとう、長月の有明の月が出るまで待ちわびることになっちゃったわ。

一晩中待ってたのに来なかった!

素性法師が女性の立場に立って詠んだ歌です。男が約束したんですね。「今夜行くよ」「行くよ」ですけど、女性の立場から見ているので「今こむ」…来る、になっている。今夜訪ねて行く。

だから女性は待っていた。

「ああ…いつ来るのかしら…もうそろそろかしら…
もうたいがい来てもいいわね」

有明の月というのは、まだ夜明け前に空に残っている月のことです。空の月がまだ「有る」うちに夜が「明ける」ということから、有明の月、といいます。

女性の立場に立って素性法師が詠んだ歌です。

作者 素性法師

素性法師は12番僧正遍照の息子です。僧正遍照が桓武天皇の孫ですから、当然素性法師は桓武天皇のひ孫ということになります。俗名を良峯玄利(よしみねのはるとし)といいました。

今こむと言ひしばかりに長月の
有明の月を待ち出でつるかな

素性法師


吹くからに秋の草木のしおるれば
むべ山風を嵐と言ふらむ

文屋康秀

風が吹くとすぐに秋の草木がしおれてしまうので、なるほど、山風のことを嵐と言うのだろう。

山+風=嵐

だから何だって歌ですけども…漢字の成り立ちの洒落を含んでいます。「山」「風」とタテにならぶと、「嵐」という漢字になるわけです。あ~なるほど、山風のことをだから嵐というのか、というちょっとした洒落ですね。

何てことはないパッとしない歌なんですけども、言葉の響きがよくて印象に残る歌ではあります。

文屋康秀と小野小町

作者の文屋康秀。六歌仙の一人に数えられます。百人一首の作者たちは上皇天皇はじめ、そうそうたるご身分の方々が多いんですが、この文屋康秀は身分はごく低かったと伝えられます。

ところがこの、身分も低く、歌もどちらかというとパッとしない。このパッとしない感じの文屋康秀が小野小町と関係があった、ということが伝えられます。

小野小町は若い頃、宮中で華やかに、数々の貴公子たちと恋の浮名を流し、絶世の美女としてもてはやされていた…しかしその小町も歳を取ります。しだいに衰えて行く。

「ああ私も歳を取っていくのね。そろそろ落ち着きたいわ。でも若いころあんなにチヤホヤされたのに、今さらそれほどでもない殿方といっしょにというのもプライドが許さないし…」

とか何とか言ってたかもしれない、そんな小野小町に、文屋康秀が、三河国に赴任するにあたって、

「小町さん、一緒に来てくれないだろうか」

こう誘いをかけるわけです。

小野小町は詠みました。

わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて
誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ

私はこんなにも侘しい思いに暮れていますので、もう衰え果てて気持ちも侘しくなっていますので、浮草のような根無し草の私ですから、誘う水があればそのほうに流れていきたいと思います。

つまり文屋康秀の誘いを受けているわけです。こうして文屋康秀と小野小町は三河国に行って、めでたく結ばれた…か、どうかはわかりませんが…

こういう歌のやり取りが残っているわけです。

吹くからに秋の草木のしおるれば
むべ山風を嵐と言ふらむ

文屋康秀

明日は、23番大江千里です。お楽しみに。

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百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説
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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。