「月見れば千々に物こそ悲しけれ…」大江千里 ほか

こんにちは。左大臣光永です。11月最後の一日、いかがお過ごしだったでしょうか?

私は本日、品川水族館の前を通ったら、入口の所に猫がいて、ニャオン、ニャオンと、通る人、通る人に愛想をふりまいていました。客引き!まさに客引きとしか思えない愛らしさで、手をのばすと、ゴロニャンとじゃれついてくるのではないですか!あまりの可愛さにしばし猫の頭をなでくりまわしてきました。あの毛で包まれた頭の中に、しっかりと硬い頭蓋骨が入ってる手触り。いよいよ愛らしく思えます。猫は、いいですねぇ。

さて、先日再発売しました「百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説CD-ROM」。
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さて本日「左大臣の古典・歴史の名場面 」第720回目は、百人一首より23番大江千里と24番菅家です。静岡同志社クラブ主催の「市民古典歴史講座」の録音です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Lect023.mp3

月見ればちぢにものこそ悲しけれ
わが身ひとつの秋にはあらねど

大江千里

月を見れば様々に心がかき乱される。私独りのための秋というわけではないのに。

秋の夜長をひとり過ごす歌

しっとりとした、秋の夜長の空気が出ている、雰囲気のいい歌です。作者の大江千里は、宇田天皇の時代の漢学者です。漢字・漢文・漢詩に詳しい人です。なのでこの歌も、漢詩の情緒を採り入れて、漢詩を元に作られた和歌です。

元はこういう文句がありました。

燕子樓中霜月夜
秋來只爲一人長

燕子楼中(えんしろうちゅう) 霜月(そうげつ)の夜
秋来たって只一人のために長し

これは恋人を失った女性がですね、燕子楼という高い楼台の上に登って、秋の夜長をしっとりと悲しみに暮れて過ごしている、という内容で、大江千里はこの漢詩の内容をふまえて、この歌を作りました。

このように大江千里はですね、漢詩を元にたくさんの和歌を作った…特に白楽天の詩を元に、白楽天の白氏文集という、白楽天の詩を集めた歌集から120首もの和歌を詠んでいます。

古き歌をたずねて、新しい句を構成すると、そういうふうに言っている方です。

大江千里。宇田天皇の時代の漢学者。伊予の権守(ごんのかみ)であった以外の詳しい経歴はわかっていません。

月見ればちぢにものこそ悲しけれ
わが身ひとつの秋にはあらねど

大江千里


このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山(たむけやま)
紅葉の錦神のまにまに

菅家

今回の旅は急なことでしたので、神前にお供えする幣もじゅうぶんに用意できませんでした。せめて、手向山の道祖神よ、この素晴らしい紅葉の錦を、錦織のような素晴らしい紅葉の景色を、お心のままに神前にお受けください。

神前に紅葉を捧げる歌

898年、宇田上皇が吉野の宮滝に御幸した時に、お供をした菅原道真が詠んだとされる歌です。「幣」とは、今あまり見ないですが、みなさん「大幣」というのはわかりますでしょうか。神社でシャンシャンとする、あのハタキみたいなものがありますね。ああいったもので、五色の紙や布を細かく切って、それを旅にさきがけて道祖神の前にまいて、旅の安全を祈る。そういう習慣がありました。

しかし今回の旅は急なことだったので、その幣をじゅうぶんに用意できなかった。周りを見るとざあーーと一面、素晴らしい紅葉が紅葉している。

だから菅原道真は手向山の道祖神よ、せめてこの素晴らしい紅葉の景色を、お心のままにお受けください。たいへん洒落た感じで詠んでいます。

実に絢爛豪華な、パッとした感じの歌だと思います。この歌を詠んだ時菅原道真は右大臣に昇進する前年のことで、宇田上皇にたいへん重く用いられてですね、その権勢の絶頂期にあった。だからその得意な感じも出ている、勢いのある歌だと思います。

ちなみにですね、皆さま、「行幸(ぎょうこう)」と「御幸(ごこう)」という言葉があります。これを本日は、覚えておいてください。

行幸とは、天皇がどこかへお出かけになることです。対して天皇以外の上皇や皇后がどこかへお出かけになること。これを御幸と言います。

行幸も御幸も訓読みすると「みゆき」となります。

行幸と御幸。このキーワードを本日は頭の片隅に入れておいてください。

今回の宇多上皇の宮滝御幸。京都を出て宇治を通って、吉野の宮滝に行って、河内を越えて住吉大社に参拝して、京都に戻ってくるといいう大規模な御幸でした。

宇多上皇の宮滝御幸
【宇多上皇の宮滝御幸】

作者 菅原道真

作者の菅原道真(菅家)。幼少のころから秀才の誉れ高く、やがて宇多天皇・醍醐天皇二代の帝に仕え重く用いられ、右大臣に至りますが、左大臣藤原時平の憎しみを買い、無実の罪を受けて遠く大宰府に流された人物です。

この宮滝の御幸の、このたびは幣もとりあへずの歌を詠んだ翌年にですね、菅原道真、右大臣に任じられましたけれども、それを右大臣藤原時平、たいへん危機感を抱きました。

「藤原氏でもない者が右大臣になった。
この上、太政大臣にまでなられたら…
藤原氏にとしては大変なことだ!」

危機感をつのらせました藤原時平。菅原道真が娘を、宇田上皇の息子であり醍醐天皇の弟である斉世(ときよ)親王に嫁がせようとしていたことに目をつけます。

菅原道真と斉世親王
【菅原道真と斉世親王】

すかさず藤原時平が醍醐天皇に讒言します。

「これは謀反です。道真は、醍醐天皇を廃し、
弟君の斉世(ときよ)親王を位に立てようとしております」

「なんと!けしからん!」

ということで、醍醐天皇はそれをお聞きになり、菅原道真を大宰権帥(だざいのごんのそち)として大宰府送りにしたわけです。

いよいよ大宰府に流されるというその日、京都の館で菅原道真は縁側にたたずみ、ふと庭を見ると、子供の頃から慣れ親しんできた梅の木がある。

「ああ梅よ…東風が吹いたら、その香を遠く大宰府まで漂わせておくれ。
主人の私がいなくなったからといって、春を忘れたりしないでくれよ」

ご一緒にどうぞ。

東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花
主なしとて春な忘れそ

梅は主人の心を汲み取ってか、遠く大宰府まで飛び、大宰府の地に下りたって、花を咲かせたということです。

飛梅、といって現在も福岡の太宰府天満宮の本殿前に植えてあります。

そして、配流生活二年目の903年、菅原道真は大宰府の地で失意のうちに亡くなりました。

怨霊となった菅原道真

菅原道真が亡くなってからというもの、都では異常な事件が相次ぎます。天変地異が相次ぎ、そして菅原道真の左遷に関わった人々が次々と原因不明の死を遂げていきます。

ついに道真の最大の政敵であった藤原時平も、原因不明の高熱に冒され、39歳の若さで帰らぬ人となります。そして930年。

清涼殿で、ある重要な会議が開かれていた時、

ゴロゴロゴロゴロ…

愛宕山の方角から、黒雲が沸き立ち、またたく間に平安京全土を覆い尽くし、

ドガラドガラドガラーーーン

と清涼殿を直撃し、大納言以下六名が死亡するという大惨事となりました。事の次第を醍醐天皇も間近にご覧になっていらっしゃり、あまりの衝撃を受けてそれから三か月で亡くなりました。

こうして、菅原道真の左遷に関わったすべての人は死に絶えました。

「菅公の祟りだ…菅公の怨霊だ」

と恐れた人々の心が、947年、京都にできましたのが…何でしょうか?

北野天満宮(旧北野神社)が建てられました。

このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山(たむけやま)
紅葉の錦神のまにまに

菅家

明日は、25番三条右大臣です。お楽しみに。

発売中です。

百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説
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百人一首のすべての歌・すべての歌人について
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特典の「平安京 名士・名所案内」は2015年5月に
同志社大学OB会で行った講演の録音です。
2017年1月10日お申込みまでの早期お申込み特典となります。
お早目にどうぞ。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。