「ひさかたの光のどけき春の日に」紀友則 ほか

こんにちは。左大臣光永です。いよいよ年の瀬の差し迫ってますが、いかがお過ごしでしょうか?私は昨日、東京多摩で「足利将軍家の興亡」第三回、花の御所と足利義満について講演してきました。

足利時代はとても話が入り組んでいるので語りにくいのですが、要素を絞って、焦点をしぼって、他の部分は思い切って削る、のがいいと思いました。メインでない要素はバッサリ捨てる、ということです。

今回は同い年生まれの足利義満と後円融天皇の関係にしぼって語ってみました。そのぶん九州の情勢や鎌倉の情勢については大幅に話を省くことになってましたが…わかりやすさという点では正解だったと思います。

が、相変わらず固有名詞の間違いが多く、足利義嗣を足利義持といったり、後で録音を聴き返すと赤面ものです。うーん…喋ってる最中は気づかないモンですねえ…

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さて本日「左大臣の古典・歴史の名場面 」第728回目です。百人一首より33番紀友則(きのとものり)と、34番藤原興風です。静岡同志社クラブ主催の「市民古典歴史講座」の録音です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Lect033.mp3

ひさかたの光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ

紀友則

散り急ぐ桜を惜しむ歌

「ひさかたの」は、「光」にかかる枕詞です。光がのどかに差している、光のどかな春の日に、ゆっくりする気持ちもなく、どうして花は散っていくのだろうなあ。

あの、桜が散る散り際に、日本人なら誰もが感じる、なんとなく物寂しい感じ。はらほらはらほら、桜が散って、ああ今年も桜が散るのか。もうちょっと花見を楽しんでいたかったのになあ。

しかしそんな気持ちは理解せず、桜はのんびりと滞在することもせず、散り急いでいく。それが寂しい。勿体ないなあという歌です。

「ひさかたの」は枕詞。「光」や「天(あめ)」や「空」にかかる枕詞です。枕詞ですから意味的には省いて考えてもいいわけです。

一句目は省いちゃって、「光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」がこの歌の内容なんですけども、じゃあ何でわざわざ枕詞というものがあるか、おわかりでしょうか。だって和歌ってですね、五・七・五・七・七。たった三十一文字しかない中に、こんなひさかたの…五文字も無駄に使っているのって無駄じゃないですか?

もっと内容をつめたほうがよくないですか?

枕詞っていうのは学校では「内容が無いから省いていいよ」と教わるかもしれないですけども、まあ元々は内容は何かしらあったわけですね。

それが形骸化していって、ある言葉を導く形式的なものになっていった、ということなんですけども、

それよりもポイントは、歌というものが元々は万葉集の昔には、文字に書かれるものでなくて、声に出して歌われるものであったということがポイントです。

声に出して歌われる。しかも、現在の淡々とした「朗読」のようではなく、長く節をつけて歌うわけですよ。

ひさかたの~~~
光のどけき春の日に~~~

こんなふうに、節をつけて歌うわけです。そうすると「ひさかたの~~~」と結構長いですから、聞いているほうも考える・頭の中でツッコミを入れる余裕がある。

「ひさかたの~~~」と来ると、「あ、光とか空の話をするんだな」と、聞いているほうも心構えができるんですね。もっと後の古今和歌集、新古今集の時代になると枕詞の意味も失われていきますが、元々は文字に書いたものではなくて、たとえば宴会の席や何かで、披露されるものだったわけですよ。

で今のように「作品」として「鑑賞」されるというよりもですね、宴会だとか祭とかの「場」でですね、その場の人々と一緒に共有される。歌の詠み手と聞き手がいっしょになって作り上げる、という性質があったわけです。

そういうものの名残として枕詞というものがあるかなと思います。

またこの歌の情緒がですね、有名な劉希夷(りゅうきい)の漢詩に通じる情緒があります。

古人無復洛城東 古人また洛城東に無く
今人還對落花風 今人また落花風に対す
年年歳歳花相似 年年歳歳 花は相似たり
歳歳年年人不同 歳歳年年 人は同じからず

昔の人は洛陽の町の東側で遊んでいたんだけども、今はその姿は無い。それに代わって、現在の人が落花の風に吹かれている。来る年も来る年も花を見ている人間は移り変わる…という、人の命の無常を詠んだ、劉希夷という人の有名な詩です。

ひさかたの光のどけき春の日に…も、根底にこの漢詩の情緒が流れていると思います。

作者 紀友則

作者の紀友則は三十六歌仙の一人で紀貫之の従弟。そして『古今和歌集』の選者です。有名な歌が、

君ならで誰にか見せむ梅の花
色をも香をも知る人ぞ知る

あなた以外に誰に見せましょうこの素晴らしい梅の花を。色も香も「知る人ぞ知る」…その本当の良さをわかるのはあなただけですから。

という歌が紀友則の歌として有名です。


誰をかも知る人にせむ高砂の
松も昔の友ならなくに

藤原興風

誰をいったい、昔馴染みの知る人とすればいいのだろうか。長寿で知られる高砂の松も、昔からの友というわけではないのに。

老年の孤独を詠んだ歌

歳を取って、だんだん周りの友人・知人がいなくなっていく孤独を詠んだ歌です。高砂の松というのは播磨にあり、たいへん齢が長い。千年万年と歳を保つ。ぜんぜん枯れない。ということで有名な高砂の松です。

しかしその、長寿で知られる高砂の松といっても、所詮は無生物。昔のことを分かち合う友とするわけにはいかない。いったいこんな次々と友人・知人がいなくなって、私は誰を昔なじみの知る者とすればいいのだろうか。

という、老年の孤独を詠んだ歌です。

しかしこの歌はけしてしみったれた感じはしない…むしろさわやかな風が漂ってくる所が、この歌の救いかなと思います。

作者の藤原興風は三十六歌仙の一人で、琴の名手としても知られています。

明日は、35番紀貫之です。お楽しみに。

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百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説
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百人一首のすべての歌・すべての歌人について

特典の「平安京 名士・名所案内」は2015年5月に
同志社大学OB会で行った講演の録音です。

お早目にどうぞ。

本日も左大臣光永がお話しました。

ありがとうございます。