よくわかる和歌の技法(三)体言止め・本歌取り

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こんにちは。左大臣光永です。

先日、静岡から三島に向かう鈍行列車に乗ってると、隣の席のおっさん二人が延々と、一秒もとどこおなく、延々と話し続けていて、ものすごくその声が気になってですね。もう私のそばに座っていたお兄さんなんて、うるせえっとつぶやいて、富士駅で降りていきました。

よくあれだけしゃべれるもんだと。脳みその仕組みどうなってるのかと。文字起こししたら何十万文字になるんだろうと、感心しました。なんか脳の制御弁がはずれているのかもですね。

さて先日再発売しました。「日本の歴史~平安京と藤原氏の繁栄」。ご好評をいただいています。桓武天皇による平安京遷都から、藤原氏の全盛期を経て、白河上皇により院政がはじまる直前まで約300年間の歴史の流れを語った音声つきCD-ROMです。

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本日は「よくわかる和歌の技法(三)」体言止め・本歌取りです。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Lect103.mp3

第一回「掛詞・枕詞・序詞」
http://ogura100.roudokus.com/Lect101.html

第二回「縁語・見立て」も、
http://ogura100.roudokus.com/Lect102.html

あわせてお聴きください。

体言止め

これはわかりやすいですね。現代でも普通に使います。句の最後を体言(名詞)で句切る技法です。スパッと切るので、余韻が残ります。

照り付ける太陽。蝉の声。あふれる汗。

そんな感じです。『新古今和歌集』から使われることが多くなりました。

見たわせば花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮れ

『新古今和歌集』(秋歌上 巻四・363)藤原定家

見渡せば花も紅葉も無いなあ。海岸にみすぼらしいあばら家が建っている、秋の夕暮れ。秋の夕暮れ、とズバッと切っているので、余韻が残るわけです。

朝ぼらけ有明の月と見るまでに
吉野の里にふれる白雪

『古今和歌集』(巻6・冬・232)坂上是則

朝がぼんやりと明けてくる頃、有明の月と思い間違うほどまでに、吉野の里に降っている白雪。ふれる白雪、ズバッと切っているので、余韻をひきずる効果があります。

わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの
雲居にまがふ沖つ白波

詞歌集(巻10・雑下・382)関白前太政大臣

大海原に漕ぎ出してみれば、雲と見間違うほどまでに、沖の白波が立っている。沖つ白波、と、ズバッと切っているので、余韻が残るわけです。

本歌取りとは、古い昔の歌を下敷きにして、新しい歌を詠むことです。平安時代末期、藤原俊成によって始められ、息子の藤原定家によって確立されました。

昔の歌を下敷きにするといっても、何でもかんでも引っ張ってくればいいのではなく、定家によって細かなルールが決められています。

たとえば、本の歌は三大集(万葉集、古今和歌集、新古今和歌集)・伊勢物語・三十六人家集から採るとか。本歌とは主題、テーマを同じにしてはならないとか。本歌からそのまま引用できるのは二句未満とする、など…。

古い歌を下敷きに新しい歌を詠むので、古い歌と新しい歌が響き合い、イメージやテーマに奥行きが生まれます。

まず藤原定家の歌

駒とめて袖うちはらふ陰もなし
佐野のわたりの雪の夕暮れ

『新古今和歌集』冬歌 巻六・671 藤原定家 

馬をとめて袖を打ち払う人影もない。佐野のあたりの雪の夕暮れよ。

この歌は『万葉集』の長奥麻呂(ながのおきまろ)の歌を本歌として詠んだ歌です。

苦しくも降り来る雨か三輪の崎
佐野の渡りに家もあらなくに

『万葉集』雑歌 巻三・265 長奥麻呂

苦しくも降ってくる雨だなあ。三輪の崎の佐野のあたりに。立ち寄って雨宿りするような、家も無いというのに。

長奥麻呂の本歌では「雨」ですが、藤原定家の歌では「雪」に変わっています。長奥麻呂の本歌には「苦しくも」という感情が詠まれているのに対し、藤原定家の歌には感情をあらわす主観的な言葉がなく、風景画のように、景色を描いた歌になっています。

もう一つ、有名な本歌取りの例です。

契りきなかたみに袖をしほりつつ
末の松山波越さじとは

清原元輔

約束したじゃないですか。かたみに…お互いに涙に袖をしぼりつつ、末の松山を波が越さないように、ぜったいに心変わりはしないと。なのにあなたは心変わりしたんですね。

末の松山を波が越すというのは、絶対にありえないことのたとえです。宮城の末の松山は高い位置にあって、どんなに津波が来ても波が越さなかったことから、末の松山を波が越すというのは、絶対にありえないことのたとえです。

お互いに、絶対に心変わりはしないと誓ったのに、あああなたは心変わりをしたんですね、という相手の心変わりをとがめる歌です。

この歌は万葉集のよみ人知らずの歌を本歌としています。

君をおきてあだし心をわがもたば
末の松山波もこえなむ

『古今和歌集』(巻20・みちのくの歌・1093)よみ人知らず

あなたを差し置いて浮気心を私が持ったとしたら、末の松山を波が越えてしまうでしょう。つまり、私は絶対心変わりはしませんよ、という歌です。

清原元輔の歌は、「あなた心変わりをしましたね」と、もうすでに相手が心変わりしてしまって、その、相手の心変わりを責めている歌ですが、

『万葉集』の本歌は「絶対に心変わりはしませんよ」という、誓いの歌になっています。

三回にわたって、和歌の技法についてお話ししてきました。

掛詞、枕詞、序詞、
縁語、見立て、
体言止め、本歌取り。

和歌を詠む時に、こういう技法にも注意しながら読むと、面白さが増すと思います。

明日は、東京・目黒を歩きます。お楽しみに。

本日も左大臣光永がお話ししました。
ありがとうございます。ありがとうございました。

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電車や車での移動中・作業の合間の「ながら聴き」にも最適です。楽しんで聴いているうちに日本の歴史についての知識が身に付き、いっそうの興味がわきます。

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