天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも 安倍仲麿

あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも(あべのなかまろ)

意味

大空を振り仰いで見ると、月が出ている。あの月は私の故郷、春日の三笠山に出ていた月と全く同じ月なのかなぁ。

平城京歴史館前の遣唐使船のレプリカ
平城京歴史館前の遣唐使船のレプリカ

語句

天の原 広々とした大空。「原」は広々としている様子。 ■ふりさけ見れば 遠くをふり仰ぐと。動詞「ふりさけ見る」の已然系に接続助詞「ば」がついて、確定条件。 ■春日なる 春日にある。「春日」は現在の奈良公園から春日神社のあたり。「なる」は断定の助動詞「なり」の連体形。「…にある」という存在をあらわす。 ■三笠の山 奈良市の東方にある山。春日神社のあたり。 ■かも 奈良時代によく用いられた詠嘆の終助詞。もともとは疑問の終助詞「か」に詠嘆の終助詞「も」を添えた形。

出典

古今集(巻8・羈旅・406)。詞書に「唐土にて月をみてよみける 安倍仲麿」。古今集には歌の左側に長い注(左注)がある。「この歌は、昔、仲麿を、もろこしに物習はしに遣はしたりけるに、あまたの年を経て帰りまうで来ざりけるを、この国よりまた使まかり至りけるにたぐひて、まうで来なむとて出で立ちけるに、明州といふ所の海辺にて、かの国の人、うまのはなむけしけり。夜になりて、月のいとおもしろくさし出でたりけるを見て、よめるとなむ、語りつたふる。」紀貫之の『土佐日記』にも仲麿の物語とともにこの歌が登場するが初句が「青海原」になっている。

決まり字

あまの

解説

阿倍仲麿は遣唐使として中国に留学し、玄宗皇帝に仕え李白・王維・儲光羲(ちょこうぎ)といった詩人たちと交流を持ちました。

三十六年ぶりに帰国を許された仲麻呂は、日本へ船出するにあたり、、明州(現在の浙江省寧波)で見送りの宴を開いてもらいました。その席で詠んだ歌です。

寧波
【寧波】

作者 阿倍仲麿

阿倍仲麻呂(698-770)。奈良時代の遣唐使留学生。中務大夫船守(なかつかさたいふあべのふなもり)の長男として大和国に生まれます。716年19歳で吉備真備(22歳)や玄昉らとともに遣唐使として選ばれます。

平城京歴史館前の遣唐使船のレプリカ
平城京歴史館前の遣唐使船のレプリカ

平城京歴史館前の遣唐使船のレプリカ
平城京歴史館前の遣唐使船のレプリカ

平城京歴史館前の遣唐使船のレプリカ
平城京歴史館前の遣唐使船のレプリカ

翌717年遣唐使多治比県守(たじひのあがたもり)に従って唐に出発。長安入り阿倍仲麻呂は中国風に朝衡(ちょうこう)もしくは朝衡(ちようこう)と名乗りました。太学(たいがく)…官僚養成機関で勉強し、科挙に合格します。

外国人としては異例のことでした。晴れて唐王朝の官僚としてのスタートを切った阿倍仲麻呂は司経校書、左拾遺、左補闕と順調に出世を重ねていきます。br />

帰国を願い出るも許されず

733年、36歳の時、仲麻呂は入唐した第10次遣唐使とともに帰国を願い出ます。しかし玄宗皇帝は帰国を許しませんでした。すでに唐王朝の官僚となって10年以上。優秀な仲麻呂を玄宗皇帝は手放したくなかったのかもしれません。一方、吉備真備は735年多くの書物や仏典を携えて日本に帰国しました。<

734年仲麻呂は玄宗の子儀王の友に任じられます。一方、仲麻呂は長安滞在中に李白・王維・儲光羲(ちょこうぎ)といった詩人たちと交流を持ちました。

李白が玄宗皇帝の宮廷歌人として召し出されたのは742年。わずか3年で不祥事があって長安を追われていますが、その3年の間に仲麻呂と知り合ったと思われます。おそらく長安の居酒屋でワイワイいいながら、日本のことや文学のことを話したんじゃないでしょうか。

再度帰国を願い出る

752年、藤原清河(ふじわらのきよかわ)の率いる第12次遣唐使が入唐します。副使はかつて仲麻呂とともに唐へ渡ってきた吉備真備です。

吉備真備は一足先に日本に帰国していました。遣唐使としてはじめて選ばれた時は阿倍仲麻呂19歳。吉備真備22歳。それそれから30数年の月日が流れ、お互い50代になっていました。おーい真備。おっ仲麻呂か、おっさんになったなあ…そんなやりとりもあったかもしれませんね。

仲麻呂は「さすがに今回が最後の機会かもしれない」と、玄宗に帰国を願い出ます。

「貴君は長安に来て何年になるか」
「はっ陛下、今年で35年となります」

「そんなにもか。誰しも故郷は恋しいもの。長い間引きとめてしまったな。
日本へ帰るがよい。よくこれまで我が王朝に仕えてくれた」

「陛下、もったいないお言葉です」

王維の送別歌

仲麻呂が帰国すると聞き、親しくしていた詩人の王維は歌を詠んでいます。

秘書晁監の日本国に還るを送る
積水 極む可からず
安んぞ 滄海の東を知らんや
九州 何れの處か遠き
万里 空に乗ずるが若し
国に向かって惟(た)だ日を看(み)
帰帆は但(た)だ風に信(まか)すのみ
鰲身(ごうしん)は天に映じて黒く
魚眼は波を射て紅なり
鄕樹は扶桑の外
主人は孤島の中
別離 方(まさ)に域を異にす
音信 若爲(いかん)ぞ 通ぜんや

送祕書晁監還日本國
積水不可極
安知滄海東
九州何處遠
萬里若乘空
向國惟看日
歸帆但信風
鰲身映天黑
魚眼射波紅
鄕樹扶桑外
主人孤島中
別離方異域
音信若爲通

【現代語訳】
大海原の水はどこまで続くのか、見極めようが無い。
その東の果てがどうなっているのか、どうして知れるだろう。

わが国の外にあるという九つの世界のうち、
最も遠い世界、それが君の故郷、日本だ。

万里もの道のりは、さながら空を旅してるようなものだ。

ただ太陽の運行と風向きに任せて進んでいくほかはない。

伝説にある大海亀は黒々と天にその姿を映し、
巨大魚の目の光は真っ赤で、波を貫いくことだろう。

君の故郷日本は、太陽の昇る所に生えているという神木(扶桑)の
はるか外にあり、その孤島こそが、君の故郷なのだ。

私たちは、まったく離れた世界に別たれてしまうのだ。
もう連絡の取りようも無いのだろうか。

いよいよ帰国が迫ると、李白や王維といった親しくしていた人々が
明州(寧波)で送別会を開いてくれました。

寧波
【寧波】

送別の宴の中、阿倍仲麻呂が詠んだのが百人一首で有名なこの歌です。

天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも

(大空を振り仰いで見ると、月が出ている。
あの月は私の故郷、春日の三笠山に出ていた月と全く同じ月なのかなぁ)

李白の慟哭

こうして藤原清川率いる遣唐使一行は僧鑑真を伴って蘇州から出航しました。しかしその途中、暴風雨が船団を襲います。鑑真の乗った船は日本にたどりつきますが、藤原清川と阿倍仲麻呂の乗った船は難破していまいました。

蘇州
【蘇州】

蘇州から日本へ
【蘇州から日本へ】

長安には「朝衡(阿倍仲麻呂)が死んだ」という噂が届きます。「なに!あの高潔な朝衡が!海に沈んだと!」李白は親友朝衡を失った悲しみを歌に詠んでいます。

晁卿衡を哭す
日本の晁卿 帝都を辞す
征帆 一片 蓬壷を繞る
明月帰らず 碧海に沈む
白雲 愁色 蒼梧に満つ

哭晁卿衡
日本晁卿辞帝都
征帆一片繞蓬壷
明月不帰沈碧海
白雲愁色満蒼梧

【現代語訳】
日本の友人、晁衡は帝都長安を出発した。
小さな舟に乗り込み、日本へ向かったのだ。

しかし
明月のように高潔なあの晁衡は、
青々とした海の底に沈んでしまった!

愁いをたたえた白い雲が、
蒼梧山に立ち込めている。

帰国ならず

しかし、これは誤報でした。阿倍仲麻呂の乗った船は安南(ベトナム北部)に漂着していました。

安南
【安南】

仲麻呂は苦心の末、755年長安に戻ります。この年安史の乱が起こりますが、仲麻呂はその後も順調に出世を重ねます。

ベトナム方面の最高長官である鎮南都護、安南節度使に任じられ玄宗についで粛宗・代宗三代の皇帝にわたって仕え73年の生涯を終えました。二度と日本の地を踏むことはありませんでした。没後、日本からも正二品の位が送られています。