君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ 光孝天皇

きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ (こうこうてんのう)

決まり字

きみがため は

出典

古今集(巻1・春上・21)。詞書「仁和のみかど、みこにおはしましける時、人に若菜たまひける御歌」。「仁和のみかど」は光孝天皇。在位時の年号が仁和だったため。「みこ」は親王。光孝天皇が親王時代の作品ということ。

語句

■若菜 早春、萌えいでた草で食用になるもの。あつものにして食べると邪気払いになると考えられていた。「若菜摘み」の習慣は孝行天皇より少し後の延喜年間に定着し、現在でも七草粥にその名残をとどめている。 ■衣手 袖。 ■つつ 動作の反復。「君」が誰を指すかは、わかっていない。

意味

あなたに差し上げようと春の野に出て若菜を摘んでいると、その衣の裾に雪がしきりにふりかかります。

作者 光孝天皇

光孝天皇(830-887)。仁明天皇の第三皇子時康親王。小松の帝とも。第58代天皇。即位された時は55歳で、わずか4年間で崩御されました。28番源宗于の祖父、40番平兼盛の曽祖父です。

天皇家系図
天皇家系図

先代の陽成天皇は奇行が多く、やんちゃが過ぎたのか(脳に異常があったとも言われています)17歳で退位させられました。陽成天皇にかわって太政大臣藤原基経によって推挙されて即位したのが光孝天皇です。

政治は藤原基経が関白となって仕切りました。史上初の関白です。そのため光孝天皇が実際に政治に関与できることは少なかったようですが、光孝天皇は聡明で学問風流を愛するやさしい方だったといいます。

まさか自分が天皇になるとは思っていなかったようで、暮らし向きも質素なものだったようです。自炊をして、家の中が料理の墨で黒くなっていたというエピソードも残っています。

887年8月病気重体となり後継者問題が起こると藤原基経は光孝天皇第七皇子で臣籍に下っていた源定省を親王に復帰させ、皇太子とします。後の宇多天皇です。

光孝天皇は藤原基経と皇太子の手を取って、必ず大臣の恩を忘れるなかれと諭したといいます。

陵墓は京都市右京区宇多野馬場町の小松山陵。このため、「小松の帝」とも呼ばれました。

関連項目

『伊勢物語』 光孝天皇が登場する百十四段