みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ 中納言兼輔

みかのはら わきてながるる いずみがわ いつみきとてか こいしかるらん(ちゅうなごんかねすけ)

意味

みかの原を分けて湧き出てくるように流れる泉川。その「いつみ」という言葉のように、貴女をいつ見たのだろうか。まだ見てすらいないのにこんなにも恋焦がれるなんて。

語句

■みかの原 「甕の原」「瓶の原」。京都府相楽郡賀茂町を流れる木津川一帯。奈良時代、聖武天皇の時代、一時ここに恭仁京(くにきょう)が置かれた。 ■わきて流るる 「わきて」は「分きて」と「湧きて」の掛詞。さらに「沸きて」が次の「いづみ」の縁語となる。 ■いづみ川 現在の木津川。「泉」が次の「いつ見」と同音なので、初句からここまでが「いつ見」を導く序詞。 ■いつ見きとてか いつ見た(逢った)といってか。見るは文字通りの見るのほか、男女の契りを指す。「き」は過去の助動詞。

出典

新古今集(巻11・恋1・996)。詞書に「題知らず 中納言 兼輔」。

決まり字

みかの

解説

「まだ見ぬ恋」を歌った歌です。この時代の恋愛はまず相手の評判を聞いたり、歌のやり取りをしたりして、イメージをふくらませました。

どんな素敵な人だろう。きっと優雅な、物腰のやわらかな人だろうなー…などと想像を膨らませ、いよいよ直接の出会いとなります。「イメージ通りの人だった」「なんだよガッカリだ」…どちらの場合もあったでしょうが、そういう恋愛の作法だったわけです。

作者 中納言兼輔

中納言兼輔、藤原兼輔(877-933)。平安時代中期の歌人。三十六歌仙の一人。57番紫式部の曾祖父。
父は右中将利基。

兼輔の館は鴨川のほとりの京極あたりにあり、庭は鴨川から水を引き入れて自然庭園のようになっており、とても美しかったそうです。そのため兼輔は「堤中納言」と呼ばれました。ちなみに有名な『堤中納言物語』とは…何の関係もありません。

聖徳太子の生涯を記した『太子伝暦』の著者としても知られます。

898年讃岐権掾を始めとして蔵人頭、参議を経て中納言に至ります。

三条右大臣藤原定方とは良門を父として従弟同士の関係。また兼輔は定方の娘を妻としていました。人柄は温厚で面倒見がよく、紀貫之凡河内躬恒らの庇護者的存在でした。『大和物語』には藤原兼輔を中心としたグループの逸話が多く語られています。

人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな
(人の親の心は闇というわけでは無いが、子を思う時は道に迷ったように、どうしていいかわからなくなるものだなあ)

現在、京都御所のすぐ東側に蘆山寺という寺があり、このあたりが兼輔の邸宅の跡だと調査によりわかりました。ひ孫の紫式部も一時ここに住んだそうで、境内には「紫式部邸宅跡」の碑があります(京都市上京区寺町通広小路上る北之辺町397)。