有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし 壬生忠岑

ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし(みぶのただみね)

意味

有明の月が照らす中、あなたは私をそっけなく追い返しました。あの別れの時から、私にとって明け方ほどつらいものはなくなったのです。

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語句

■有明 有明の月。16日以降の、明け方になっても空に残っている月。21番素性法師31番坂上是則にも印象的に詠みこまれている。 ■つれなく そっけないこと。冷淡なこと。 ■ばかり 程度。 ■憂き つらい。

出典

古今集(巻13・恋3・625)「題しらず 壬生忠岑」。

決まり字

ありあ

解説

男が女のもとに通っていって、一晩中過ごした、翌朝、女は男をそっけなく追い返す。「さ帰って帰って」「そんなお前、つれなくしないでもいいじゃないか。あんなに愛し合ったのに」「変なこと言わないでちょうだい!さ、帰って帰って」…「つれないなあ」ふと空を見上げると、有明の月がこうこうと輝いている。それからというもの、暁というものをつらいものと思うようになった。そんな歌です。

壬生忠岑。生没年不詳。三十六歌仙の一人で『古今集』の選者の一人。41番壬生忠見の父です。はじめ大将定国の随身。官位は六位と低かったものの多くの歌合せに参加し歌人としての名声は高いものでした。長寿を保ち98歳まで生きたと伝えられます。家集に『忠岑集』

忠岑の歌は後世までも評判がよかったようです。藤原定家家隆後鳥羽院から、『古今集』の秀歌を問われたとき、両人ともこの「有明のつれなく見えし別れ」の歌を挙げました。

「春立つといふばかりにやみ吉野の山も霞みてけさはみゆらむ」は『拾遺集』の巻頭を飾り、藤原公任による歌論書『和歌九品(わかくほん)』では最上位の上品上の評価を与えられています。

主人を良きに取りなす

壬生忠岑は若い頃和泉大将藤原定国に仕えていました。ある晩、主人の定国は酒によって、夜遅くに左大臣藤原師尹のもとに参上しました。

「なんじゃこんな夜中に…ぶつぶつ…
おおかた、どこかへ寄った帰りであろう」

藤原師尹(ふじわらのもろただ)は不機嫌になりました。その時、きざはしの下で松明を持って待機していた壬生忠岑が、

鵲の渡せる橋の霜の上を
夜半に踏み分けことさらにこそ

「鵲の渡す橋」といわれる天の川のような、このお屋敷の霜をふみわけて、他ならぬ貴方にお会いしたくてやってきたのですよ。

大伴家持作と伝えられる鵲の歌を踏まえて詠みました。

「うむむ…見事な歌いっぷり。定国、
よい従者を持ったのう。さあそのほうも、
上がれ上がれ。気分がよい。酒宴じゃ」

藤原師尹はたいそう機嫌が良くなって、夜が明けるまで宴会となり、しかも定国にも忠峯にも引き出物を下されたと『大和物語』に書かれています。

歌で失敗した話

壬生忠岑はこのように歌人としての誉れが高い人物でしたが、それでも歌で失敗したことがあります。

ある時宮中で天皇に春の歌を献上しましたが、忠岑は白雲のおり下る山…と詠みました。凡河内躬恒がこの歌をとがめます。「忠岑殿、この歌はまずいです」

白雲が降りて、山の峯に下ってきている。何の問題も無さそうですが、「居り下る」は天皇の御退位を言っているとも取れるのでした。

「はっ…そこまでは気付かなかった」

すぐに歌をひっこめる壬生忠岑。しかしそれから程なくして、実際に天皇が退位されたということです。

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