夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ 清原深養父

なつのよは まだよいながら あけぬるを くものいずこに つきやどるらん (きよはらのふかやぶ)

意味

夏の夜は短く、まだ宵の内だと思っているともう夜明けが来てしまったが、早々に姿を消してしまった月は、いったい雲のどのへんに宿っているのであろうか。

出展

古今集(巻3・夏・166)。詞書に「月の面白かりける夜、あかつきがたによめる 深養父」。ほか『古今六帖』にも収録。

語句

■夏の夜は 係助詞「は」は、他と区別して、とりわけ。■まだ宵ながら 「宵」は日暮れから夜までの時間ですがここでは夜に入ってすぐの時間帯。「ながら」は「…のままの状態で」まだ夜になってすぐだと思っていたのに。■明けぬるを 「ぬる」は完了。「を」は逆接の接続助詞。「明けてしまったのに」。「らむ」は推量の助動詞。「いったいどのへんに宿っているのであろうか」。

決まり字

なつ

解説

夏の短夜を月を見て楽しんでいたのです。そうこうしてる内にもう夜明けが来ます。あまりにも夜が短いので、月も山の端に隠れるスキがなかったのではないか。どこか雲の裏にお隠れになったのかしらと夏の夜の短さを歌った歌です。百人一首に夏を歌った歌はわずか4首です。

藤原公任の選んだ三十六歌仙に清原深養父が入っていないこともあり平安時代中期までこの歌はまったく注目されませんでした。しかし、定家の父俊成によって評価され定家が百人一首に採用したことで有名になります。

ついに「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを腹のいずこに酒やどるらむ」と狂歌に詠まれるまでになりました。

作者 清原深養父

清原深養父。生没年未詳。9世紀末から10世紀はじめの人。平安時代中期の歌人。天武天皇の皇子で『日本書紀』を編纂した舎人親王の子孫。清原房則の子。内匠允(たくみのじょう)、内蔵大允、930年従五位下の官位のみ伝わります。清原元輔の祖父、清少納言の曽祖父です。

藤原兼輔の歌人グループに出入りし、琴も得意だったようです。紀貫之が清原深養父の琴の上手をきき感心して詠んだ歌が残っています。

あしびきの山下水は行き通ひ 琴の音にさへながるべらなり

(山を下る水は流れ下って、琴の音にまで流れ込んでいるのだなあ)

晩年は洛北大原に補陀洛寺を建てて住んだと言われます。補陀洛寺は『平家物語』「大原御幸」に登場します。また『井蛙抄』に清原深養父が大原の小野の里に住んでいたと書かれており、この歌も大原をイメージすると感じが出ます。

家集に『深養父集』があり『古今集』以下の勅撰和歌集に41首入集。中古三十六歌仙の一人。