忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな 右近

わすらるる みをばおもわず ちかいてし ひとのいのちの おしくもあるかな (うこん)

意味

あなたに忘れられ捨てられる私の身については何とも思いません。ただ私と添い遂げるとあれだけ神仏に誓った、あなたのその命が惜しまれます。天罰が落ちるのて死んでしまうのですからね。

語句

■忘らるる 「忘れられた」。動詞「忘る」は通常下二段活用だが古い形で四段に活用している。「るる」は受身の助動詞の連体形。 ■身をば思はず 「身」はわが身。私。「ば」は強意の助動詞「は」が「を」と続くことで「ば」と濁音になったもの。「ず」は打ち消しの助動詞の終止形。二句切れ。 ■誓いてし 「誓った」。誓ったのは男。「て」は完了の助動詞「つ」の連用形。「し」は過去の助動詞「き」の連体形。 ■人の命の 「人」は相手の男。「身」と対比している。「命の」の「の」は主格 ■惜しくもあるかな 惜しむ主体は作者。「も」は強めの係助詞。「かな」は詠嘆の終助詞。

出典

拾遺集(巻14・恋4・870)。詞書に「題しらず 右近」。『古今六帖』にも。また『大和物語』に「をとこの忘れじとよろづのことをかけて誓ひければ、わすれにけるのちにいひやりける」とあって、この歌が見えます。

決まり字

わすら

解説

『大和物語』によると季縄少将の女右近は、七条后穏子(おんし)にお仕えする官女でしたが、権中納言藤原某と恋仲になっていました。

「ずっと忘れないよ右近。
君だけだ。神仏にかけて誓おう」
「あなた…」

そんなことを言っていましたが、かの男はコロッと右近を忘れてしまいました。詳しいことは書かれていませんが、おそらく他に女ができたのでしょう。

その時右近は取り乱しませんでした。私を捨てるなんていい根性ですわね。それは構いませんが…あなたはおっしゃいましたよ。神仏にかけて私を忘れないと。

それが、忘れた。あなたは神仏に反して、私を裏切ったのです。もう罰があたって死ぬしかありませんわ。ほほほ。あたら若い命を。

そんな感じの歌です。すさまじい怨みの歌とも、冗談めかして軽く歌っているようにも取れますが、あなたはどう思われますでしょうか?

歌を送った相手の男は43番権中納言藤原敦忠であったといわれています。

作者 右近

右近。生没年未詳。平安時代中期10世紀中ごろの人物。右近衛少将藤原季縄(すえなわ)の娘。妹という説も。父親の官職名から「右近」と呼ばれます。父親の季縄は「交野(かたの)の少将」といわれる鷹匠でした。「交野」は鷹狩で有名な場所で『伊勢物語』八十二段にも書かれています。右近は後に醍醐天皇后穏子(七条后穏子)に女房として仕えました。『大和物語』では八十一段から八十五段まで右近の話が続きます。