浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき 参議等

あさじうの おののしのはら しのぶれど あまりてなどか ひとのこいしき (さんぎひとし)

意味

丈の低い茅の生えた野辺の篠原、その「しの」という言葉のように、私は恋しさを忍んでおりましたが、でももう思いを抑えきれないのです。どうしてこんなにも貴女のことが恋しいのでしょうか。

嵯峨野の歌碑
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語句

■浅茅生 丈の低い茅(ちがや)が生えている場所。 ■小野の篠原 「小」は語調を整える接頭語。 ■篠原 細い竹の生えている原。初句からここまでが「忍ぶれど」を導く序詞。 ■忍ぶれど」恋しさを忍んでおりましたが。 ■ど 逆説の接続助詞。 ■あまりて 忍び余って。もうこれ以上恋しさを抑えきれずに。 ■などか人の恋しき」どうしてこんなにもあの人のことが恋しいのでしょうか。「などか」は疑問。「しの」という音に植物の「篠」と「忍ぶ」の「しの」が掛けられ忍ぶ恋を歌う。

出典

後撰集(巻9・恋1・578)。詞書に「人につかはしける 源ひとしの朝臣」。

決まり字

あさじ

解説

古今集の「浅茅生の小野の篠原忍ぶとも人知るらめやいふ人なしに よみ人しらず」(丈の低い茅の生えた野辺の篠原、その「しの」という言葉のように、私がどんなに忍んでいても、あの人は知らないでしょう。伝える人がいないのだから)を踏まえているともされます。古今集の歌はひたすら忍ぶ歌です。

忍ぶ恋、どうにもこの恋は隠し通さないといけない。欲望のままにつっ走ったらいけない。ああ…それでも気持ちを抑えきれないという歌です。

参議等(880-951)。源等。平安時代前期から中期にかけての公家。嵯峨天皇のひ孫で源氏。父は中納言希(まれ)。近江介から947年参議。天暦5年(951年)正四位下に叙せられ同年薨ずる。参議は官名で、左右大臣・内大臣の三大臣を補佐する役職。

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