恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見

こいすちょう わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもいそめしか (みぶのただみ)

意味

私の恋の浮名は、さっそく知れ渡ってしまいました。人知れず思い始めたことでしたのに。

語句

■恋すてふ 恋しているという。「てふ」は「といふ」の短くなったもの。2番持統天皇参照。「名」は評判。噂。「まだき」は早くも、さっそく。「人知れずこそ」人に知られないように。「こそ」は強めの係助詞。「思ひ初めしか」動詞「思い初む」の連用形 + 過去の助動詞「き」の已然形。前の「こそ」と「しか」で係り結びが成立します。

出典

拾遺集(巻11・恋1・621)。詞書に「天暦の御時の歌合 壬生忠見」。村上天皇主催の天徳四年三月三十日内裏歌合で、平兼盛の歌と競って敗れた歌。

決まり字

こい

解説

村上天皇主催の天徳四年三月三十日内裏歌合で、平兼盛の歌と競って敗れた歌です。

鎌倉時代の仏教説話集『沙門集』には、壬生忠見が負けたショックで立ち直れなくなり、不食の病…食事が喉を通らなくなり亡くなったと記されています。しかしその後の壬生忠見の歌も残っており、信憑性の薄い話です。

作者 壬生忠見

壬生忠見 生没年未詳。平安時代中期の歌人。父は壬生忠岑。父忠岑とともに三十六歌仙に数えられます。家は貧しく官位は正六位上・伊予掾と低かったものの歌人としての誉は高いものでした。

953年内裏菊合、960年天徳内裏歌合に歌を詠み、屏風歌でも活躍しました。天徳内裏歌合において平兼盛の歌と競って敗れた逸話は有名です。忠見は敗れたショックで食事ができなくなり亡くなったとも伝えられています。

『袋草子』にある逸話には、忠見は子供の頃から歌にすぐれ評判でした。ある時内裏からお召し出しがかかりますが、忠見は家が貧しく乗り物が無いと断ります。すると内裏から竹馬に乗って来いと返事が届きます。そこで忠見は詠みました。

竹馬はふしかげにしていと弱し今夕影に乗りて参らん
(竹馬は鹿毛(馬の毛)が節になっており弱いので、夕影に乗って参りましょう。竹の「節」に馬の「鹿毛」を重ね「鹿毛」と「影」を掛ける)