風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな 源重之

かぜをいたみ いわうつなみの おのれのみ くだけてものを おもうころかな(みなもとのしげゆき)

意味

風が激しいために岸にぶつかる波が一人で砕け散る。そんなふうに貴女を思う私の心は一人で乱れています。あなたは私のことなど何とも思っていないのに。

語句

■風をいたみ 「風が激しいので」。「~を~み」は「~が~ので」。1番天智天皇の歌にも使われている表現です。 ■岩うつ波の 初句からここまでが次の「砕けて」を導く序詞。岩にどんなに波が打ち寄せてもびくともしない岩の様子を、冷淡な相手の態度にたとえる。 ■おのれのみくだけて 前半と後半をつなぐ結びの部分。「くだけて」は波が岩にぶつかってくだける様子と、自分の心が砕ける様子を掛ける。

出典

詞花集(巻7・恋上・31)詞書に「冷泉院(れいぜいのいん)、春宮(とうぐう)と申しける時、百首の歌奉りけるによめる 源重之」。

決まり字

かぜを

解説

片思いの歌です。好きな気持ちが積もりに積もって、何度も付き合ってくださいと何度も申し込んでいるのに、全く相手にされず、虚しい、さびしいという気持ちを詠んでいます。

その、うまくいかない恋のさまを、岸に波がうち寄せ、砕け散る様子にたとえています。「岸うつ波=自分」「岸=あなた」です。

作者 源重之

源重之(生年未詳~1000)。清和天皇の皇子貞元親王の孫。従五位下兼信の子。官位は従五位下・筑前守。冷泉天皇が憲平親王といった皇太子時代に帯刀先生(たてはきのせんじょう 皇太子の警護長)を勤めます。その間、憲平親王に百首歌を献上し、平安時代末期に広く行われた百首歌のさきがけとなりました。

一生のほとんどを地方官として過し、最晩年は陸奥守藤原実方にしたがって陸奥へ赴任し、そのまま陸奥で没したとされます。平兼盛曾禰良忠らと交流がありました。


平兼盛が、陸奥に下った源重之に書き送っています。

陸奥の安達が原の黒塚に 鬼籠もれりといふはまことか 平兼盛

(鬼婆伝説で有名な安達が原の黒塚。そこに鬼がこもっているというのは本当か)

平兼盛は源重之に美しい妹が何人もいることをきいて、そのことを鬼にたとえてきいているのです。女性を鬼にたとえる例は、当時いくらもありました。