君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな 藤原義孝

きみがため おしからざりし いのちさえ ながくもがなと おもいけるかな (ふじわらのよしたか)

意味

貴女に一目逢えさえすれば死んでもいいと思っていましたが、実際にお会いしてみるとあまりに素晴らしく、この惜しくないはずだった命までも惜しいと思うようになったことですよ。

語句

■君 男から女をさしている。 ■惜しからざりし 「ざり」は打消の助動詞「ざり」の連用形。「し」は過去の助動詞「き」の連体形。 ■命さへ 「さへ」は添加の副助詞。あなたとお会いすることはもちろん、長生きすることまでも望むようになったの意。 ■長くもがな 長くあってほしい。「もがな」は願望の終助詞。 

出展

後拾遺集(巻12・恋・669)詞書に「女のもとより帰りて遣はしける 少将藤原義孝」。『義孝集』の詞書には「人のもとよりかへりてつとめて」。末句「思ほゆるかな」。

決まり字

きみがため お

解説

とにかく一度会えればいい、一目会えればもう死んでいいんだ。最初はそういう気持ちだったのです。でも実際に会ってみると、あまりに素晴らしいために、もっと生きたいという欲が出てきたのです。逢瀬の後に相手に贈った後朝の歌です。

作者 藤原義孝

藤原義孝(954-974)。謙徳公伊尹の三男。能書家として有名な藤原行成の父。正五位右少将。兄挙賢(たかかた)とともに美貌の兄弟として知られていました。兄挙賢を前少将(さきのしょうしょう)、義孝を後少将(のちのしょうしょう)と称されました。美貌の貴公子でしたが天然痘にかかり二十一歳で夭折します。家集に『義孝集』があります。

義孝が12歳の時、一条天皇の御前で連歌が行われました。

秋はただ夕まぐれこそただならぬ

しかし誰も下の句を作れるものがありません。
そこで義孝が詠みました。

荻の上風萩の下露

人々はさすがと感じ入り、ことに父伊尹は義孝を自慢に思います。

「というわけなんです。関白さま、うちの子
なかなかのもんでしょう」

「うむ…そうだなあ」

伊尹は藤原道長にわが子義孝のことを自慢します。
しかし、道長はべつだん感心した様子もありませんでした。

その道長の態度に、伊尹は納得しませんでした。
今度は道長の娘上東門院に息子自慢をします。

「どうです、すごいでしょうちの息子」

上東門院は返事をよこします。

「まあ素敵な下の句をつけたものですね。
まるで古の人麿・赤人の再来のような」

また、上東門院へ文を取り次いだ中務(なかつかさ)という 女房も、伊尹に個人的に歌を返しました。

荻の葉に風おとづるる夕には萩の下霜置きぞ増しける

父伊尹はどれほど喜んだか…、
ちょっと親バカではありますが。

また義孝は若くして仏に深く帰依し、並の公達のように
女にうつつを抜かしてはいませんでした。

ある女房の局にめずらしく義孝が訪れた時のことでした。
まだ夜中というわけでも無いのに義孝はそそくさと立ち去ります。

(いったいどこに行くのかしら…
もしや恋人のもとにでも…)

人につけさせたところ、

ぶつぶつ、ぶつぶつ…

何を言っているのかしらと耳をすますと、法華経を唱えているのでした。
義孝は寺の境内に入っていき、梅の木の下に立って
お経を唱え、西に向かい手をあわせ、地面にぬかづていました。

この夜は空が霞みわたり、月がたいそう明るく、
義孝の横顔が月光に白く映し出され、
はらりと垂れた鬢の毛が、たいそう美しく見えました。

「へええ、義孝さまったら、とことんお固いのねえ」

などと、報告を受けてため息をつく女房でした。

義孝は19歳の天禄3年(972年)源保光の娘との間に
行成をもうけます。後に能書家として小野道風・
藤原佐理(すけまさ)と並び
三蹟の一人に数えられる、藤原行成です。

天延2年、21歳の若さでこの兄弟は天然痘にやられます。
同じ日の朝には兄挙賢が、夜は弟義孝が亡くなります。

病の床の中、義孝は母に告げます。

「母上、申しおきたい事がございます。
私は一度死した後、よみがえります。
しばし法華経を詠みたいのです。なので、
私が死んでもすぐには火葬にしないでください」

「まあお前、そんな、死ぬなんて何を言うの。
こんな病なんて、大丈夫だよ」

母は気が動転していて、義孝の遺言を忘れていました。
義孝が息を引き取ると、うっかり火葬にしてしまいます。
それで義孝はよみがえることができなくなりました。

義孝は母の夢の中にあらわれ詠みます。

しかばかり契りしものをわたり川帰るほどには忘るべしやは

わたり川は三途の川。
あのように火葬にしないでほしいと約束しましたのに、
三途の川から帰ってくる間に母上は忘れてしまわれたのでしょうか。

母はいたく嘆きます。しかし、

その後、賀縁阿闍梨という僧の夢の中に
挙賢、義孝兄弟があらわれます。

兄挙賢は沈んだ顔をしていましたが、
弟義孝は楽しそうにしていました。

「なぜそう楽しそうにしていらっしゃるのか。
母君はひどく心を痛めておいでですのに」

義孝は詠みました。

時雨にはちぐさの花ぞ散りまがふ何ふるさとに袖濡らすらん

時雨が降ると、さまざまな花が散るものです。
どうして私の故郷(現世)では袖を濡らして泣いているのでしょう。

また吟じました。

昔契蓬莱宮裏月
今遊極楽界中風

昔は蓬莱宮の月に契り
今は極楽界中の風に遊ぶ

この夢を僧から聞かされた人々は、
ああ極楽往生されたのだと言い合いました。