滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ 大納言公任

たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそながれて なおきこえけれ (だいなごんきんとう)

意味

滝の音はずっと昔に絶えてしまったが、その滝の評判はずっと残り、今日まで聞こえている。

嵯峨 大覚寺
嵯峨 大覚寺

語句

■滝 京都洛西大覚寺の滝殿。9世紀に嵯峨上皇の離宮があったが、公任の時代にはもう水は枯れていたらしい。 ■絶えて 聞こえなくなって。 ■名 名声、評判。 ■なほ 副詞。それでも、やはり。 ■聞こえけれ 有名である。今日まで伝わっている。「けれ」は「こそ」の結びで已然形。

出展

拾遺集(巻8・雑上・449)。詞書に「大覚寺に人々あまたまかりたりけるに、ふるき滝をよみ侍りける 右衛門督公任」。拾遺集では初句が「滝の糸は」。また千載集(巻17・雑上・1035)詞書に「嵯峨大覚寺にまかりて、これかれ歌よみ侍りけるによみ侍りける 前大納言公任)。千載集では初句「滝の音は」。

大沢の池
大沢の池

名こその滝 石組の跡
名こその滝 石組の跡

名こその滝 案内版
名こその滝 案内版

決まり字

たき

解説

京都洛西嵯峨の大覚寺にかつて嵯峨上皇の離宮があり、滝殿がありました。しかし公任の時代には水はすでに枯れてしまい、かつての賑わいはありませんでした。それでもその滝の評判だけは残っているという歌です。

現在でも大沢池の北の藪の中に「名こその滝」として石組が残っています。

「滝の音は」「絶えて久しくなりぬれど」の「た」、「名こそ」「流れて」「なほ」の「な」の繰り返しがリズムを生んでいます。

作者 大納言公任

大納言公任(きんとう 966-1041)。藤原公任。小野宮太政大臣藤原実頼の孫。関白太政大臣藤原頼忠の子。母は代明(よあきら)親王の女。正二位権大納言に至り、四条大納言ともいわれていました。漢詩文・和歌・管弦すべてにすぐれた当時最高の文化人でした。「三十六歌仙」の選者『和漢朗詠集』の選者としても知られます。『枕草子』でもっとも活躍する公達です。藤原実方とは友人同士でした。64番権中納言定頼の父。

三船の才

「人となり聡明にして和漢の才あり」。

ある年、藤原道長が大堰川(京都桂川上流)で舟遊びをしました。漢詩・和歌・管弦の船を用意して、その道の名人が乗り込みました。

しかし公任はそのすべてに通じていました。そこで道長は公任に訪ねます。「公任殿はどの船に乗られるのか」すると公任は「和歌の船に乗りましょう」と和歌の船に乗り込みます。

朝早い時間のことで、冷たい風が嵐山からさーーと吹きよせると、その風に乗って、紅葉が吹き散らされている。その紅葉が、人々の衣の上に重なり、ああ誰も彼も、紅葉の錦を着ているようだと、

朝まだき嵐の山の寒ければ紅葉の錦著(き)ぬ人ぞなき

(朝の早い時間で、嵐山は寒いので風が吹き降ろしてきて紅葉を散らし、誰も彼も紅葉の錦をまとっているように見える)

「おお!」「さすがは公任殿」
周囲は関心します。

「もし漢詩の船に乗って、この歌ほどの詩をつくっていたら昇進は確実だったのに」人々は言い合いました(和歌は漢詩より下と見られていました)。

ここから三船の才という言葉が生まれました。同時代の藤原経信も三船の才で知られ、公任と並び賞されました。