いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな 伊勢大輔

いにしえの ならのみやこの やえざくら きょうここのえに においぬるかな (いせのたいふ)

意味

その昔は奈良の都に咲いていた八重桜が、今日はこうして九重の都に献上され、香りを漂わせています。

語句

■奈良の都 710年から784年まで都が置かれた。今は平安京に都があり、ふるさと(古い都)となっている。 ■八重桜 花弁が大きく重なっている。ふつうの桜より咲くのが遅い。『徒然草』139段に「八重桜は奈良の都にのみありけるを、このころぞ世に多くなり侍るなる」とある。 ■けふ 「にいしへ」に対応した語。八重桜が献上された日。 ■九重ににほひぬるかな 「九重」は宮中のこと。古代中国で王城を九重の門で囲ったことから。「八重桜」と「九重」の数字のつながりが歌のおもしろみになっている。「にほふ」は美しく色づくこと。視覚上のことで、現在のように嗅覚をいうのではない。「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形。「かな」は詠嘆の終助詞。

出典

詞花集(巻一・春・29)。詞書に「一条院の御時(おほんとき)、奈良の八重桜を人の奉りけるを、その折、御前に侍りければ、その花を題にて歌よめとおほせごとありければ 伊勢大輔」。金葉集三奏本(巻一・春58)にも。

決まり字

いに

解説

一条院の中宮彰子の元には、毎年奈良から八重桜が届けられました。その八重桜を受け取る役は歌の得意な女房に限られました。これはたいへんに名誉な役目でした。

この年の受け取り役は、最初紫式部とされていました。しかし式部はその役を新参者の伊勢大輔に譲ります。

そこへ、藤原道長が口をはさみます。

「どうせ受け取るなら歌を詠みなさい」

不安になる紫式部。この子、ちゃんと詠めるかしら。私が頼んだばっかりに恥をかかせちゃったら悪いわ。伊勢大輔そこで一呼吸すっと置いて、

いにしへの奈良の都の八重桜
けふ九重に匂ひぬるかな

見事にこの機知に富んだ歌を詠みました。まあ…なんて…感心する周囲の女房たち。美しく色づく八重桜が一条天皇の御世の繁栄を讃えているような歌です。

「いにしへ」と「けふ」。「八重」と「九重」の対比が見事です。「九重」は禁裏。宮中のことです。

私もこの歌はとても好きです。いろいろと技巧をこらした歌でありながらそういう技巧を一切無視して、単に「すばらしい八重桜の香だなあ」という意味に読んでも、十分鑑賞に値するからです。

理知と感情、両方に訴えてくる歌だと思います。この歌によって伊勢大輔は紀内侍・小式部内侍とともに「三才女」の一人とされました。

作者 伊勢大輔

伊勢大輔。生没年未詳。父は藤原輔親。父が伊勢の祭主だったので伊勢大輔といいます。藤原道長女上東門院彰子に仕えた女房で、紫式部・和泉式部らとともに彰子のサロンを形成しました。49番大中臣能宣朝臣の孫です。

中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人に数えられます。

高階成順(たかしなのなりのぶ)と結婚し康資王母(やすすけおうのはは)・筑前乳母(ちくぜんのうば)・源兼俊母(みなもとのかねとしのはは)らをすぐれた歌人を産みました。家集に『伊勢大輔集』。

吹き通へ 志賀の浦風

『宇治拾遺物語』によると伊勢大輔は筑前守である人でやさしい人の妻となりました。しかし付き合いはじめの頃、相手は石山寺に参詣しており、なかなか消息もつかめませんでした。

(ああ…あの人はどうしているかしら)

詠みました。

みるめこそあふみの海のかたからめ
吹きだに通へ志賀の浦風

「みるめ」に海藻を意味する「海松布」と「見る目」を掛け、「あふみ」に地名の「近江」と「逢う身」を掛けています。

琵琶湖では海藻が生えないように、石山寺におこもりなら、なかなかお会いすることは難しいでしょうけど、せめて志賀の浦風よ、吹いてきてあの人の消息を伝えてほしい。

この歌が詠まれて後は夫の情もいよいよ深まり、子孫が繁栄したということです。