音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ 祐子内親王家紀伊

おとにきく たかしのはまの あだなみは かけじやそでの ぬれもこそすれ (ゆうしないしんのうけのき)

意味

噂に名高い高師の浜の、いたずらに立ち騒ぐ波のようなものです。浮気者として知られる貴方のお誘いなんて。その誘いに乗るものですか。後で涙に袖を濡らすことになるだけですから。

語句

■音にきく 噂に聞く。 ■高師の浜 和泉国の歌枕。大阪府堺市浜寺から高石市にかけての浜だが現在は埋め立てられている。「評判が高い」の意味の「高し」を掛ける。 ■あだ波 いたずらに立ち騒ぐ波。浮気な男を例える。 ■かけじや 「波を袖にかけない」と「誘いの言葉を心にかけない」を掛ける。「じ」は打消しの助動詞の終止形。「や」は詠嘆の間投助詞。 ■ぬれもこそすれ …するといけない。「も」「こそ」はともに係助詞。「もこそ」とセットになって、予想される悪いことへの不安・心配を意味する。「すれ」は已然形で「こそ」の結び。

出典

金葉集(巻8・恋下・再奏本469、三奏本464)。「堀川院御時艶書合によめる 中納言俊忠 人知れぬ思ひありその浦風に 波のよるこそいはまほしけれ」と詠んだのに返歌として、「返し 一宮紀伊 音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ」。

決まり字

おと

解説

歌合の中でも「艶書合(えんしょあわせ・けそうぶみあわせ)」という趣向で詠まれたものです。艶書合とは、男が女に求婚の歌を詠み、女がそれに応える歌を詠むのを一つがえにした歌合せです。

「堀川院艶書合」は康和4年(1102)年閏5月に内裏で行われました。

まず藤原俊忠が詠みます。俊忠は83番俊成の父です。

人知れぬ思ひありその浦風に 波のよるこそいはまほしけれ

歌の意味は、人知れず貴女に思いがあるから、有磯の浦風に乗って、波が岸に寄るように、夜お会いしたいというものです。

有磯の浦は越中の歌枕で、大伴家持が歌に詠んだことにより生まれました。もとは漠然と越中の海をさしていましたが、後に場所が決められ、松尾芭蕉も『おくのほそ道』の旅の中で訪れています。

それに応えたのが、紀伊のこの歌です。

俊忠の歌が「波」で詠んだので同じく「波」で応え、歌枕「有磯の浦」に対しても同じく歌枕「高師の浜」で応えたのです。

技巧が込んだ中にも艶っぽいやり取りで、洗練された貴公子と才女の晴れやかな姿が目に浮かぶようですが…この年、俊忠は29歳。対する紀伊は紀伊は70歳すぎだったと言われています。

若い頃素敵な殿方とこんな歌のやり取りをしていたら…などと、楽しみながら詠んだのかもしれませんね。

作者 祐子内親王紀伊

祐子内親王紀伊。生没年未詳。後朱雀天皇の皇女・祐子内親王に仕えた女房です。紀伊守重経の妹なので兄の所領地から名をとって紀伊といいます。一宮紀伊(いちのみやのき)とも。平経方(たいらのつねかた)の娘。母は祐子内親王家小弁。家集に『紀伊集』。