淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守 源兼昌

あわじしま かようちどりの なくこえに いくよねざめぬ すまのせきもり (みなもとのかねまさ)

意味

淡路島から通ってくる千鳥のわびしい声を聞いて、幾夜目を覚ましたことか、いにしえの須磨の関守は。

淡路島、須磨
【淡路島、須磨】

語句

■淡路島 須磨の西南にある島。昔は淡路国といわれた。現在は兵庫県に属する。■かよふ 千鳥が淡路島から須磨へ通ってくる。須磨から淡路島へ通う。須磨と淡路島の間を行ったり来たりするの三説がある。 ■千鳥 チドリ科の鳥。水辺にすみ群れをなして飛ぶ。和歌では冬の景物とされる。 ■いく夜寝ざぬ いく夜寝覚めたことか。「ぬ」は完了の助動詞の終止形。「いくよ」と疑問をふくんだ文脈なので、本来「寝覚めぬる」と連体形にするのが正しいが、語調の問題で「ぬ」とする。ほかに「ぬらむ」の「らむ」が省略されたという説もあり。 ■須磨の関守 須磨は現在の神戸市須磨区。古来、ここに関所があった。摂津国の歌枕。 ■関守 関所の番人。

出典

金葉集(巻4・冬・270)。詞書に「関路千鳥(せきぢのちどり)といへることをよめる 源兼昌」。

決まり字

あわじ

解説

須磨は強烈に寂しい、侘しい、心が折れる場所として知られます。光源氏が流された場所として、もっと古くは在原行平が流された地としても知られます。この歌も、『源氏物語』須磨のくだりが念頭にあるようです。

一方、淡路島は古来流刑の地でした。奈良時代、藤原仲麻呂の乱に敗れた淳仁天皇が、平安時代初期には桓武天皇の弟早良親王が流されています。そういう歴史もふまえて詠むと味わい深い歌です。

また千鳥といえば讃岐に流された崇徳院が詠んだ歌に「浜千鳥あとは都へかよへども身は松山にねをのみぞ鳴く」があります。77番崇徳院につづけて78番千鳥の歌。定家は意識して配置したのかもしれません。

作者 源兼昌

源兼昌(みなもとのかねまさ 生没年未詳)。平安時代中期~後期の歌人、官人。宇多源氏の源俊輔の子。官位には恵まれず最終官位は従五位下皇后宮大進です。のち出家しています。藤原忠通の歌壇の一員で忠通が開催した歌合せにしばしば参加しています。