きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む 後京極摂政前太政大臣

きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねん (ごきょうごくせっしょう さきのだじょうだいじん)

意味

霜の降る寒々とした夜に、こおろぎが鳴きしきっているなあ。そんな中、私は閨のむしろに衣の袖を片しいて、一人寂しく寝るのであろうか…

語句

■きりぎりす 今のこおろぎ。秋の代表的な風物。 ■鳴くや霜夜の」…動詞「鳴く」の連体形+詠嘆の間投助詞「や」+名詞「霜夜」。「霜夜」は、晩秋の霜の降る夜。 ■さむしろ 「さ」は接頭語。「むしろ」は藁や菅で編んだ粗末な敷物。「寒し」との掛詞。 ■衣かたしき 自分の衣の片方の袖をしいて寝ることで、独り寝の意味。 ■ひとりかも寝む ひとりで寝るのであろうか。「か」は疑問の係助詞。「も」は詠嘆の間投助詞(or強意の係助詞)「む」は推量の助動詞。係助詞「か」の結びで連体形。

出典

新古今集(巻5・秋下・518)。詞書に「百首の歌奉りし時 摂政太政大臣」。「百首の歌」とは正治2年(1200年)初度百首のこと。後鳥羽院によって主催された。作者の歌集「秋篠月清集」にも。

決まり字

きり

解説

「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」と「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」(柿本人麻呂)の二首の恋歌を本歌取りとして、独り寝のさびしさを歌い上げます。

『伊勢物語』第六十三段にも「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす

芭蕉の句が有名ですね。金沢で、斉藤別当実盛をまつった神社を訪ねた時の句です。

作者 後京極摂政前太政大臣

後京極摂政前太政大臣(1169-1206)。藤原良経。九条良経。鎌倉前期の公卿・歌人・書家。関白九条兼実の次男。76番藤原忠通の孫。母は藤原季行(すえゆき)の女。後京極摂政、中御門殿。歌人としては式部史生、秋篠月清(あきしのげっせい)、南海漁夫(なんかいぎょふ)、西洞隠士(さいとういんし)と称した。慈円の甥。

早世した兄にかわって家督をつぎ、左大臣、中宮大夫、内大臣、摂政を経て従一位太政大臣。その間娘を順徳天皇の中宮・東一条院として嫁がせます。

性格は温和で敵をつくらず、父の政敵であった源通親とも親しかったようです。

歌においては藤原俊成の弟子であり、後鳥羽院の再建した和歌所の寄人となり『新古今和歌集』の仮名序を執筆。後鳥羽院とは藤原良経を当代最高の歌人としてお互いを認め合う関係でした。

藤原定家慈円らとともに歌壇の中心として活躍し、自邸で催した「六百番歌合」はその絢爛豪華なことで後世の語り草となります。『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に入集。家集に『秋篠月清集』、漢詩集に『後京極摂政詩集』。日記に『殿記』。

風雅の聞こえ高い貴公子で、歌も書もよくしました。後鳥羽上皇の信任厚く「新古今和歌集」の仮名序(仮名による序文)を書きました。

『新古今和歌集』仮名序と突然の死

やまとうたは、昔あめつち開けはじめて、人のしわざいまだ定まらざりし時、葦原中国の言の葉として、稲田姫素鵞の里よりぞつたはりける。しかありしよりこのかた、その道さかりに興り、その流れいまに絶ゆることなくして、色にふけり、心をのぶるなかだちとし、世をおさめ、民をやはらぐる道とせり。  かゝりければ、代々のみかどもこれを捨てたまはず、えらびをかれたる集ども、家〃のもてあそびものとして、詞の花のこれる木のもとかたく、思ひの露もれたる草がくれもあるべからず。しかはあれども、伊勢の海きよき渚の玉は、ひろふとも尽くることなく、泉の杣しげき宮木は、ひくとも絶ゆべからず。ものみなかくのごとし。うたの道またおなじかるべし

しかし『新古今和歌集』成立の翌年(1206年)、突然の死を遂げます。

ズバッ

ぐはっ

なんと、天井に隠れていた刺客に、槍で、貫かれ、絶命したと伝えられます。享年38。土御門天皇が後京極殿の館へ行幸されるというので、警備を厳重にしていた折のことでした。

なぜ、こんなことが起こってしまったのか?

誰が後京極殿を殺したのか?

一説に、犯人は土御門天皇の教育係・菅原為長だといいます。はじめ菅原為長が『新古今和歌集』の序文を書くはずだったのが、後京極殿にかえられたので、恨みに思っての犯行だと。

「まさか、そんなことで人を殺すだろうか?」

そう思われるかもしれません。

しかし、人の生き死にが関係してくるくらい、歌が、当時の人には大変なことだったのです。

『新古今和歌集』冒頭の歌

京極殿の歌では、以下の歌が有名です。『新古今和歌集』冒頭に掲げられています。

み吉野は山もかすみて白雪のふりにし里に春はきにけり

(吉野は山も霞んで、ついこの間まで白雪が降っていた里に春が来たんだなあ)

冬の寂しさを歌った百人一首の歌とは対照的に、春の素晴らしさを歌い上げて、さわやかですね。

この歌は壬生忠岑の以下の歌を本歌としています。

春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝は見ゆらむ

(春がきたぞと言わんばかりに吉野の山も霞んで今朝は見えるだろう)

奥の細道「小松」
↑「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」の名句が詠まれた章です。