陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに 乱れそめにしわれならなくに 河原左大臣

みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに(かわらのさだいじん)

意味

みちのくの信夫文字摺りの乱れ模様のように私の思いは乱れています。あなた以外のためにこんなに思い乱れる私ではありませんのに。まさにあなたのために乱れているのです。

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語句

■陸奥 東北地方東はんぶん。「みちのおく」の略。 ■しのぶもぢずり 奥州産の乱れ模様の布。忍ぶ草で擦り染めたからとも、忍の郡で採れたからとも言われその模様が乱れていることから「乱れ」という語を導く。 ■乱れそめにし 「そめ」は「初め」だが「染め」とも書けるので、「衣」の縁語。『百人秀歌』などには「乱れんと思ふ」となっている。 ■われならなくに 「私ではないのに」。「みちのくの」が「しのぶもぢずり」を導き、「みちのくのしのぶもぢずり」までが「たれゆえに」をへだてて「乱れそめにし」にかかる序言葉となる。

出典

出典は古今集(巻14・恋4・724)。詞書「題しらず」。『古今六帖』にも。

決まり字

みち

解説

この歌は『伊勢物語』冒頭にも引用され、主人公「男」が「春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れ限り知られず」と詠んだ風情を、いにしえの「みちのくの…」の風情に通じると、語り部は称しています。

河原左大臣源融(822-895)平安時代初期の廷臣・政治家。嵯峨天皇の第十二皇子。母は大原全子(おおはらのぜんし)。光源氏のモデルとも。源氏の姓を受けて臣籍に下り、仁明天皇の猶子となります。878年正四位下をはじめとして参議、大納言と進み、872年左大臣。

嵯峨天皇、仁明天皇、源融
【嵯峨天皇、仁明天皇、源融】

しかしやがて台頭してきた藤原基経に敗れます。藤原基経は陽成天皇の摂政となり融を越えて太政大臣になりました。すると融は引退を願い出て嵯峨の別荘棲霞観(せいかかん)に籠ります。

884年藤原基経によって陽成天皇が退位させられると融は自分も天皇になる資格があると名乗り出ます。しかし藤原基経により「一度源氏に下った者が即位したためしは無い」と退けられます(『大鏡』)。

六条の鴨川のほとりに河原院(かわらのいん)と称する豪華な舘を築き、陸奥塩釜の風景を庭に再現します。そして難波から潮水を運ばせて池のそばで塩焼きを焼くという贅沢を尽くしました。

別荘の名から「河原左大臣」と言われます。河原院は現在の渉成園(しょうせいえん)と見られます。

融の死後、河原院は融の子の昇が相続し、宇多上皇に献上します。ある晩宇多上皇が休んでいると融の霊が現れ、「自分の屋敷なのに上皇さまがいらっしゃるので窮屈です」と訴えます。宇多上皇が「お前の子孫が私にくれたのだ無理矢理奪ったわけではない」と一喝すると、融の霊は消え失せました。

この話は『今昔物語』『江談抄』等に見え、この話をもとに謡曲『融』が作られました。

関連項目

『伊勢物語』「初冠」

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