今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな 素性法師

いまこんと いいしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな (そせいほうし)

意味

あなたが「すぐ行くよ」と言ったがために私は九月の夜長を待ち続けたのです。
そしてとうとう明け方になり有明の月が出てきてしまいました。

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語句

■今来む 「今」は「すぐに」。「来む」は男の立場から言えば「行く」だが、待っている女の立場で詠まれた歌なので「来む」。 ■ばかり 限定の副助詞。 ■長月 陰暦の九月。 ■待ち出づ 待ち構えていて会う。

出典

古今集(巻14・恋4・691)。詞書に「題知らず 素性法師」。

決まり字

いまこ

解説

素性法師が女性の立場になって詠んだ歌です。一晩中恋人を待ってたのです。男はすっぽかしたのか、それとも用事ができて来られなかったのか…。

「有明の月」は16日以降の、明け方になっても空に残っている月。空に月がまだ「有る」ままに夜が「明ける」ことから、有明の月、です。30番壬生忠岑31番坂上是則にも印象的に詠みこまれています。

素生法師。生没年未詳。平安時代前期・中期の歌人。三十六歌仙の一人。桓武天皇の曾孫。俗名良峯玄利(よしみねのはるとし)。

父は僧正遍照。僧正遍照が出家前に良峯宗貞(よしみねのむねさだ)と称していた時に生まれ兄由性とともに早く出家したと見られています。

仁明天皇の皇子常康親王(つねやすしんのう)が離宮・雲林院を御所としていた際、遍照・素性父子は出入りを許されていました。雲林院ではしばしば和歌や漢詩の催しが開かれました。

常康親王薨去後は遍照が雲林院の管理を任されます。父遍照が亡くなった後も素性は雲林院に住み続けますが、後に大和の良因寺(石上寺)に移っています。

素性法師はしばしば歌合せに出詠しており、898年10月23日宇多上皇の宮滝御幸の際の和歌の催しにも招かれます。ちなみにこの御幸には、菅原道真も参加しています。

『古今和歌集』には第4位の36首を入集。古今集時代を代表する歌人とされます。家集に『素性集』があります。

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