朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪 坂上是則

あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき (さかのうえのこれのり)

意味

ぼんやりと夜が明ける頃、有明の月かと見まがうほどに、吉野の里に雪が降り積もっていることよ。

語句

■朝ぼらけ 朝がほのぼのと明ける頃。「有明の月」は16日以降の、明け方になっても空に残っている月。21番素生法師30番壬生忠岑にも印象的に歌われている。 ■まで 程度の副助詞。 ■降れる白雪 完了の助動詞「り」の連体形「る」に「白雪」という名詞が続き、体言止めで印象を深める。

出典

古今集(巻6・冬・232)。詞書に「大和国にまかれりける時に雪の降りけるを見てよめる 坂上是則」。『古今六帖』『是則集』にも。

決まり字

あさぼらけ あ

解説

早朝の吉野の白雪を詠んだ歌です。まるで月の光のように、一面の雪が明るく、目に飛び込んできたのです。

月の光を雪や霜に見立てる趣向は漢詩の影響と思われ『古今集』時代にはよく見られます。李白の詩は有名ですね。

静夜思 李白
牀前看月光
疑是地上霜
擧頭望山月
低頭思故郷

静夜思 李白
牀前月光を看る
疑うらくは是地上の霜かと
頭を挙げて山月を望み
頭を低(た)れて故郷を思う

坂上是則の歌は逆に雪を月の光に見立てたところに新しさがあります。

「吉野の里」は大和国吉野郡一帯の地で『万葉集』以来多くの歌に詠まれてきました。平安時代、吉野といえば桜、雪のイメージと結びつきます。

2番持統天皇が鵜野讃良皇女と言われていた時代に、夫大海人皇子と吉野の仮の宮にこもって再起をはかっていたことがあります。源平合戦の時代には、兄頼朝と対立した義経が吉野に逃げ延びました。

南北朝時代には後醍醐天皇の南朝の拠点が置かれたことで知られます。このように日本の歴史の中で吉野といえば、都を追われた者が山にこもって再起をはかる場所としてよく知らます。

作者 坂上是則

坂上是則(さかのうえのこれのり)生没年不詳。平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。坂上田村麻呂の5代目の子孫と言われています。

908年大和権少掾(やまとのごんのしょうじょう)、少監物・中監物・少内記を経て従五位下・加賀介。

907年の宇多法皇大井川御幸、913年亭子院歌合に歌を詠み『古今集』以下の勅撰和歌集に39首を残します。

蹴鞠の名人としても知られ延喜5年(905年)醍醐天皇の御前で行われた蹴鞠で206回まで続けて蹴り一度も落とさなかったと記録されています。