百人一首の覚え方(一)内容理解・記憶のノイズ・若いほうが有利か?

内容を理解して覚える

「百人一首、どうやって覚えたらいいですか」「どうしても覚えられない」「子供がうまく覚えられる方法はないでしょうか」

こういうご質問を、よくいただきます。

世の中に百人一首の「覚え方」はさまざまに紹介されています。決まり字と下の句の頭だけ覚えるとか、語呂合わせで覚えるとか、なぞり書きして覚えるとか。

どういう覚え方をしてもいいんですが、「ちゃんと内容を理解して覚える」ということが大切だと思います。歌の内容はもとより、歌人の人物像や、エピソード、歌の詠まれた背景を広く知って、

氷山の一角のように、水面下に大きな氷の塊が、さまざまなエピソードがあるから、その上澄の、水の上に出た氷山の一角としての歌を、「自然に覚えてしまっている」というのが理想と思います。

瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ

という崇徳院の歌は、川の瀬がさあーーっと早く流れて行って、その先に岩があるので、岩のとこでさーーっと水が二手に分かれる。分かれるんだけども、分かれた先でまた、水は合流する。

そんなふうに、私たちもいったん別れても、また一緒になれますよね。再会に希望を託している歌です。

崇徳院の悲痛な御生涯を考え合わせる時、この歌の感動がいよいよ胸に迫ります。崇徳院は1156年保元の乱で後白河天皇方に破れ、遠く四国讃岐に流されました。そして流された讃岐の地でお亡くなりになりました。

それから700年後。明治元年。崇徳院の御霊は、京都に迎えられ、白峰神宮におさめられました。戊辰戦争において崇徳院の怨霊が、旧幕府軍に味方しないようにとの明治天皇のお考えによるものでした。

遠く讃岐の地で亡くなった崇徳院の、実に700年ぶりの帰京となりました。

瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ

この歌は崇徳院の実体験を詠んだ歌ではありませんが、崇徳院の壮絶な御生涯を重ね合わせるときに、いよいよ胸打たれるんです。

ノイズが多いほうが、覚えられます。

たとえば歴史上のマイナーな人物の名前はなかなか覚えられなくても、家族の名前を忘れる人はいませんよね?

それは、名前を聴いただけで、顔も浮かぶし声も浮かぶし、今まで一緒に過ごしてきた時間。さまざまな思い出がわーーっと蘇って、単なる「名前」という以上の感動や情緒が、そこにこもっているからです。

百人一首の歌を覚えるのもこれと同じです。

歌は31文字だから31文字だけ丸暗記する、といっても覚えられるものでは、ないんです。まして「アキノワガコ」なんて歌の一部だけ切り出して、変な記号にしてしまっては、さっぱり覚えられません。

人間の脳はコンピューターとは違います。「少ない分量であれば簡単に覚えられる」なんて単純な話では、ないんです。覚える量を最小限に絞って、そこだけ覚えるというのは、もっとも能率の悪い覚え方です。

結果として、覚えてしまうのです。

そうではなくて、

秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ
わが衣手は露に濡れつつ

という天智天皇の歌を詠む時、歌の意味に加えて、天智天皇とはどんな人物だったか?中臣鎌足と飛鳥寺のそばの蹴鞠の会で出会ったこと、飛鳥川のせせらぎを聴きながら、中臣鎌足と二人、日本の将来について語り合ったこと、乙巳の変で蘇我入鹿を討ち、天皇中心の中央集権国家の礎を築いたこと。中臣鎌足が天智天皇から藤原の姓をたまわり、藤原氏のはじまりとなったこと。

そしてこの歌は実際には天智天皇の歌ではないけれど、農民の生活にさえ気を遣ってくださる優しい天皇、という人々が信じたかったイメージから、天智天皇の歌とされたこと。

そういった背景を深く知っていれば、「秋の田の…」と歌を聴いた時、すっと歌の内容が入って来てイメージがわき、感動がこみ上げるのです。

それは家族の名前を聴いた時に、わあっとそれだけで思い出がこみ上げ声が聞こえ顔が浮かぶように。

たとえば子供がこの歌どういう意味?ときいてきた時、こういった「ストーリー」をちゃんと説明してあげることができれば、豊かな意味のある記憶になるはずです。

「アキノワガコ」!とにかく「アキノワガコ」って覚えなさい!…そんなこといってもね、「は?」なんですよ。

歌の内容をはじめ、歌の詠まれた事情、歌人の経歴、歌人のエピソードなど、一首の歌を取り巻くさまざまな背景を知っているからこそ、いっそう歌の感動がこみ上げ、イメージがわき、結果として歌を「覚えてしまっている」…

これが私の提唱する記憶法です。

「アキノワガコ」と、暗記すべき最小限の文字だけ切りだして、「たったこれだけ覚えればいいんだよ。能率的な暗記法だろう!」といっても、そんな無意味な記号は頭に入らないんです。ストーリーが無いから、感動が無いから、覚えられないんです。

参考書の「まとめ」が頭に入らないのと同じです。文学作品の「あらすじ」が記憶に残らないのと同じです。その背後にあるストーリーが、水面下の氷のように存在していなければ、水の上の氷山の一角だけ覚えようとしても、無理なんです。

だから、記憶する項目を最小限に絞って他は一切学ばないというのは、能率的なようでいて、実はもっとも能率の悪い勉強法です。

学生時代、思い出してみてください。

英単語を単語帳つくって単語だけ覚えようとしても無理でしたよね?単語は、文章の中に出てくるからこそ、文脈の中で、生きた知識として、自然に、覚えられるんです。意味のある記憶になるんです。それを単語だけ切り出して「たったこれだけ覚えればいいんだ。カンタンだろう」なんてやってるから、覚えられないんです。

こじつけや語呂合わせで無理やりイメージを作る必要もありません。そもそも百人一首の歌はじゅうぶんに豊かなイメージがあり、意味があり、歌の背景があり、歌人の経歴も面白いエピソードがたくさんあるのですから、それらを「ちゃんと学ぶ」だけで、歌の内容理解が深まり、強く記憶に刻まれます。奇をてらったゴロあわせなんて、やる必要は無いんです。

意味のある記憶とは?

歌の背景や歌人の経歴。そして歴史的背景などを深く知っていれば、歌の一字一句を完璧に暗記できていなくても、記憶に曖昧なところがあっても、それはじゅうぶんに有機的な、意味のある記憶と言えます。

ちはやぶる神代も聞かず龍田川
からくれなひに水くくるとは

在原業平

神代の昔にもきいたことがありません。龍田川をからくれないに染めて、まるでくくり染め(しぼり染め)にしたように見えるなんて。

竜田川に映り込む、紅葉の見事さを歌って人気の高い歌です。

この歌を覚える時に、ただわけもわからず一字一句丸暗記するというのでなく、エピソードこみで、覚えるのです。

この歌は実際に竜田川を見て詠んだのではなく、屏風絵に描かれた竜田川を詠んだものであるとか、在原業平が清和天皇に入内してしまった藤原高子への、いまだ衰えない恋心をこめたという説があるとか。

「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞だが「宇治」という地名にかかるという豆知識など。また作者の在原業平が生涯3733人の女性と付き合ったとか、『伊勢物語』には天皇の女御である藤原高子と密通関係にあったり、絶対不可侵の存在である伊勢の斎宮とも通じた話があることを踏まえて、

ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは…と詠む時に、いっそう歌のイメージが鮮明になり、感動が、さまざまなエピソードをふまえて、立ち上がってくるわけです。

若いほうが有利か?

だから、

「年取って記憶力が弱くなったわ。もう若い人にはかなわないわ~」

なんていって嘆く必要は、ありません。

むしろ、年を取っていろいろな人生経験があるほうが、記憶するには有利です。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも

この歌は、遣唐使として中国にわたった阿倍仲麻呂が、大空の月を見て、ああ…故郷奈良の三笠山に出ている月も、この月と同じように出ているのかなあ、としみじみ郷愁にふけっている歌です。

この歌をおぼえるのに、「故郷をなつかしむ」という実体験がないと、より身にせまったものとして、歌の心を感じることはできないでしょう。

また、実際に中国や奈良に行ったことがあるほうがより鮮明なイメージが描けることは、言うまでもありません。

「月」という単語一つとっても、かもし出すイメージは年を重ね経験をつんだほうが、より豊かなものがあるわけです。

このように、自分の人生経験やイメージに結び付けて記憶するんです。これは、子供や若い人には難しいことです。

一字一句の丸暗記は子供や若い人にはかなわないかもしれませんが、自分の人生経験をふまえた、有機的な暗記をするには、年を重ねたほうが、むしろ有利です。

ぜひ歌の内容をちゃんと理解して、作者の人物像を知り、関連する百人一首以外の歌なども拾いつつ、深く、立体的な知識を身に着けてください。

それは単に知識でなく、歌が、人生の一部として、感動が、あなた自身の中に刻まれることです。

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