難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや 伊勢
なにわがた みじかきあしの ふしのまも あわでこのよを すぐしてよとや(いせ)
意味
難波潟の岸に生えている葦の、その節と節の間のような、そんな短い間さえ、あなたに会うことはできないのですか。あなたに会わずに過ごせとおっしゃるのですか。こんなにもお慕い申し上げておりますのに。
百人一首の全音声を無料ダウンロードできます
【無料配信中】福沢諭吉の生涯
■【古典・歴史】YOUTUBEチャンネル
語句
■難波潟 今の大阪湾の入り江。歌枕。昔は干潟になっていて葦が群生していた。■葦 水辺に生える背の高いイネ科の植物。「芦」とも書き「よし」とも読む。■ふしの間 節と節の間。「節」を「よ」とも読む。 ■よ 「世」。人生、男女の仲などいろいろな意味を含み、「よし⇒よ」の言葉の響きから葦の縁語。 ■逢はで 「逢わずて」の略。逢わないで。 ■過ぐしてよとや 過ごしてというのですか。疑問。
出典
新古今集(巻11・恋1・1049)「題しらず 伊勢」。
決まり字
なにわが
解説
伊勢(875-940?)。古今集時代を代表する女流歌人。伊勢守藤原継景の女。
宇多天皇の中宮温子(おんし)に仕え、その兄仲平と恋仲になりますが破局。その後、宇多天皇から寵愛を受け皇子を生むも、皇子は早世します。
その後、宇多天皇の皇子敦慶(あつよし)親王と結婚し中務(なかつかさ)を生みます。中務も後に女流歌人として知られるようになります。家集に『伊勢集』。
春霞立つを見すてて行く雁は花なき里に住みやならへる
(春霞をゆっくり見もしないで見捨てて北へ旅立つ雁は
花の無い里にでも住みなれているのだろうか)