住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ 藤原敏行朝臣
すみのえの きしによるなみ よるさえや ゆめのかよいじ ひとめよくらん (ふじわらのとしゆきあそん)
意味
住の江の岸辺に打ち寄る波…その「よる」という言葉のように、昼間ばかりか人目を避ける必要の無い夜でさえも、あなたは夢の中の道を通って会いにきてはくださらないのですね…
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語句
■よる 夜昼の「夜」と恋人が「寄り添う」の「寄る」を掛詞にし、つれない恋人の態度を責めている。 ■住の江 摂津国(大阪)住吉の浦。住吉大社があるあたりの入り江。「住の江の岸による波」までが同音の「よる」を導く序詞。 ■夢の通ひ路 夢の中で恋人に会うために通う道。 ■よくらむ 「よく」は避ける。「らむ」は推量。「どうして避けているのかしら?」と疑問を抱いている。
出典
古今集(巻12・恋2・559)。「寛平の御時(おおんとき)きさいの宮の歌合の歌 藤原敏行朝臣」。
決まり字
す
解説
藤原敏行(?-901もしくは907)平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。藤原富士麻呂の長子。母は紀名虎(きのなとら)の女。妻は紀有常の娘で在原業平の妻の姉妹。
866年少内記となり、大内記、六位蔵人を経て権中将、蔵人頭、897年従四位右衛門督(じゅしい うえもんのかみ)に至ります。
宇多天皇の信任厚く、当時の歌壇を代表的人物として活躍。紀友則らと交際がありその登用に努めました。
また能書家としても有名で京都高雄神護寺の鐘銘が敏行の作として現存しています。
『古今集』以下の勅撰和歌集に28首が入集。家集に『敏行集』。『江談抄』『今昔物語』などに逸話が伝えられます。
秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
(秋が来たことは目にはっきり見えるものではないが、
風の音に秋の到来を気づかされるのだ)
藤原敏行の歌としては同じ『古今集』のこちらがずっと有名ですが、藤原定家はあえて有名どころをはずし新しい歌を発掘しようとしたのかもしれません。