嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る 右大将道綱母

なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる (うだいしょうみちつなのはは)

意味

貴方が来ないのを嘆きに嘆いて一人寝する夜が明けるまでの時間は、とても長く感じます。どんなにその時間が長いか、あなたにはわかりますか。わからないでしょうね。

語句

■嘆きつつ 嘆きに嘆いて。「つつ」は動作の反復。 ■ひとり寝る夜 夫の訪れが無く、一人寝する夜。「寝る」は動詞「寝(ぬ)」の連体形で「夜」にかかる。 ■いかに久しきものとかは知る 「いかに」は程度がはなはだしい様。ここでは「どんなに長いかおわかりですか」と疑問を投げかけている。「かは」は反語の係助詞。「知る」は連体形で、「かは」の結び(係り結び成立)。

出典

拾遺集(巻14・恋4・912)詞書に「入道摂政まかりたりけるに、門を遅くあけければ、立ちわづらひぬといひ入れて侍りければ 右大将道綱母」。

決まり字

なげき

解説

詞書にある「入道摂政」は夫である藤原兼家です。夫兼家が訪ねて来たのに門をなかなか開けないでいると、「立っているのに疲れた」と言うので入れてあげたところで、この歌を詠んだというのです。

一方、『蜻蛉日記』にも同じ歌が載っていますが少し状況が違います。『蜻蛉日記』にほうはかなり具体的で、生々しいです。

冬のある日、夫兼家が作者のもとを訪れますが、すぐに帰っていきます。後を尾けさせると、小路という名の愛人のもとに通っていることがわかりました。

「まあ口惜しい。私の所へはロクに来もしないのに…」

しかし、鬱陶しい女と思われるのを恐れてか、便りをするのもできずにいました。

数日後の明け方、

トトン、トトン…

門を叩く者があります。
侍女があわてて戸を開けようとします。

「兼家さまですわ。ようやく来てくださったのですね」
「およしなさい。すぐに飛び出すなんて、軽い女と思われます」
「でも…」

そんなやり取りが侍女との間にあったかどうかわかりませんが…

しかし、このまま帰してしまうのも気がすまない。
恨み言の一つも言ってやりたいという気になりました。

そこで「うつろひたる菊」…
盛りを過ぎた菊の花に歌を添えて
いつもよりかしこまった感じに歌を書いて、
夫兼家に贈りました。

嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は
いかに久しきものとかは知る

「うつろひたる菊」は、兼家の心変わりに対する
抗議の意味がこめられていました。

歌を受け取った兼家は、そそくさと帰っていきます。
『蜻蛉日記』にはさらに男の返しの歌が載っています。

げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸も
おそくあくるはわびしかりけり

(いやまったく、冬の夜はなかなか明けないものだが、
冬の夜でもないのになかなか戸を明けてもらえないのは
侘しいものだねえ)

「夜があける」と「戸をあける」を掛詞にして、
女の歌の技法を逆手に取る形で返しています。

「げにやげに」という歌いっぷりがいかにも投げやりで、
うんざりした男の表情まで浮かんできそうですね。
(『蜻蛉日記』天暦九年十月)

さて、九月(ながつき)ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを手まさぐりに開けて見れば、人のもとに遣(や)らむとしける文(ふみ)あり。あさましさに、見てけりとだに知られむと思ひて、書きつく。

うたがはしほかに渡せるふみ見ればここやとだえにならむとすらむ

など思ふほどに、むべなう、十月(かみなづき)つごもりがたに、三夜(みよ)しきりて見えぬ時あり。つれなうて、「しばしこころみるほどに」など、気色(けしき)あり。

これより、夕さりつかた、「内裏(うち)にのがるまじかりけり」とて出づるに、心得で、人をつけて見すれば、「町の小路なるそこそこになむ、とまりたまひぬる」とて来たり。さればよと、いみじう心憂しと思へども、いはむやうも知らであるほどに、二三日ばかりありて、あかつきがたに門(かど)をたたく時あり、さなめりと思ふに、憂くて、開けさせねば、例の家とおぼしきところにものしたり。つとめて、なほもあらじと思ひて、

なげつききひとり寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る

と、例よりはひきつくろひて書きて、移ろひたる菊にさしたり。返りごと、「あくるまでもこころみむとしつれど、とみなる召使の来あひたりつればなむ。いとことわりなりつるは。

げにげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり

さても、いとあやしかりつるほどに、ことなしびたる、しばしば、忍びたるさまに、内裏(うち)になど言ひつつぞあるべきを、いとどしう心づきなく思ふことぞ、かぎりなきや。

『蜻蛉日記』上

【現代語訳】
さて、九月ごろになって、あの人が出ていった後に、文箱のあるのを何の気なくまさぐっている内に開けて見れば、女のもとに送ろうとした手紙がある。呆れ果てたので、「見たわよ」とせめて知らせたいと思って、書きつけた。

うたがはしほかに渡せるふみ見ればここやとだえにならむとすらむ

あなたが信用できません。他の女に渡した手紙を見れば。私のもとへ通うことは、もう途絶えてしまうのでしょうか。

など思っているうちに、案の定、十月の末ころに、三夜続けて来ない時がある。四晩目に来た時、何食わぬ顔で、「あなたのお気持ちを試しているうちに(三夜来ないということになりました)」などと、思わせぶりなことを言う。

私の家から、夕方、(兼家が)「宮中で避けられない用事があるのだった」と言って出ていったので、信用できないで、人をつけて見させたところ、「町の小路のどこそこにいて、お車をお止めになりました」と報告して来た。

ほらやっぱりと、たいそうやりきれなく思ったけれど、言い出すきっかけもわからないままいた所、二三日ほどあって、明け方近くに門を叩く時がある。夫だろうと思ったが、やり切れない思いで、戸を開けさせないでいたところ、件の女の家とおぼしき所に行ってしまった。

翌朝、やはりこのまま何も言わないでは納得できないと思って、

なげつききひとり寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る

嘆きつつ一人寝の夜の明けるまでの時間がどんなに長く感じるか、あなたにわかりますか。

と、いつもよりかしこまって書いて、盛りを過ぎた菊にその歌をさした。返事。

「戸を開けるまで待ってみようと思ったが、召使いが急な用事を言ってきたのでね。あなたが言われることはもっともだが…」

げにげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり

いやまったく、冬の夜でもないのに真木の戸をなかなか開けてもらえないのは、わびしいもんだねえ。

まだしも、私がたいそう怪しんだ時に、言い訳をして、しばらくはコソコソバレないようにして、「宮中などに用事がある」などと言いつつ女の元に通うべきであるのに、(しまいにはそんな言い訳すらせず、堂々と通うようになった)それがまったく、やり切れなく思うこと限りないのだ。

【語句】
■手まさぐりに 手でまさぐって。ここでは強い目的意識を持たず、なんとなくいじっている内に…ということを強調。 ■むべなう 案の定。 ■つれなうて 何食わぬ顔で。 ■夕さりつかた 夕方。 ■のがるまじかりけり 避けることのできない仕事のこと。 ■あかつきがた 夜明け前。 ■町の小路 室町通と西洞院通の間。 ■さなめり ■ひきつくろひて ■とみなる 急な。 ■さても まだしも。 ■ことしなびたる 言い訳を言う。 ■心づきなく やりきれなく。

作者 右大将道綱母

藤原道綱母(935ごろ-995)。平安時代中期の女流歌人、日記作者。本名はわかっていません。父は藤原北家出身の伊勢守藤原倫寧(ふじわらのともやす)。母は主殿頭春道の女?

藤原兼家と結婚して道綱を生んだので道綱の母と呼ばれます。姪に『更級日記』の作者菅原孝標女がいます。

19歳頃兼家と結婚し955年道綱を生みます。「本朝第一美人三人内也(日本で一番の美人三人のうちの一人)」と言われるほどの美貌だったといいます(『尊卑分脈』)。かつ歌が得意でした。そのためはじめ兼家に深く愛されます。

しかし美人なだけあってプライドが高く、また夫の愛をひたすら一途に求めました。

「三十日三十夜は我が許に」…つまり、夫が30日のうち毎日毎晩ぜんぶ一緒にいてくれたらいい。それほどまでに、求める女性でした(『蜻蛉日記』安和2年正月)。

兼家はしだいに食傷ぎみになり愛情が離れていきます。その上兼家には後に道長を生む正室の時姫がおり、彼女は一子道綱をもうけたとはいえ側室であり弱い立場でした。

彼女は側室としての弱い立場を常に嘆き、愛情を向けてくれない夫への恨みつらみを『蜻蛉日記』という作品に結晶させます。

後年は夫からも捨てられ、寂しい余生を送ったともいいますが、詳しいことはわかりません。

『蜻蛉日記』は夫兼家との21年間を恨みと憎しみでつづった日記文学です。

蜻蛉日記 関係図
【蜻蛉日記 関係図】

21年間の結婚生活の間には楽しいこともたくさんあったろうに、明るい話題は意図的に避けられ、暗い話重い話ばかりが執拗に収集され、陳列されています。ドロドロした怨念に満ちています。すさまじい負のエネルギーに圧倒されます。

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