もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし 前大僧正行尊

もろともに あわれとおもえ やまざくら はなよりほかに しるひともなし (さきのだいそうじょう ぎょうそん)

意味

私がお前をしみじみ愛しく思うように、お前も私のことをしみじみ愛しく思ってくれ。山桜よ。私にはお前のほかに知る人もいないのだ。

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語句

■もろともに 共に。いっしょに。お前も、私も。副詞。 ■あはれ しみじみとした懐かしさ。情緒を解する気持。 ■山桜 「山桜よ」と呼びかけている。山桜を擬人化している。 ■花よりほかに 花の他には。「より」は下に「ほか」を伴って限定をあらはす格助詞。 ■知る人 自分の心を理解してくれる人。

出典

金葉集(巻9・雑上・再奏本521、三奏本512)。詞書に「大峯にて思ひかけずさくらの花をみてよめる 僧正行尊」。「大峯」は大和国(奈良県)吉野郡十津川の東の大峯山。修験道の霊場として知られる。修験道は飛鳥時代の役小角(えんのおずぬ)を開祖とする仏教の一派で、山岳にこもり修行することを重んじる。

決まり字

もろ

解説

『金葉集』の詞書によると吉野の大峰で思いがけず桜の咲いているのを見て詠んだとあります。大峰に山入りする時期は春に入るのを順の峰、秋に入るのを逆の峰といいました。

行尊は順の峰で四月に山に入っていくと、深山木の中に思いもかけず桜が咲いているのを目にするのです。

「おお…すばらしい。この時期に思いもかけぬ桜。
風流なことよ」

などと座り込んで、「もろともにあはれと思へ」は、桜の花に語りかけているのです。私はお前をあはれと思う、だからお前も私もあはれと思ってくれ。ともにあはれと思いあおう、と。

奥の細道 羽黒
↑松尾芭蕉は湯殿山に見た遅桜に、行尊の歌の心を読み取ります。

行尊(1055-1135)。小一条院敦明親王の孫。参議源基平の子。12歳で出家して園城寺に入り頼豪阿闍梨から密教を学びます。17歳の時園城寺を降り、名山霊場をまわって修行者として修行しました。人々の病を癒した功績により保安4年(1123年)天台座主に任じられます。修験道の行者として知られる一方、歌人としての誉れも高いものでした。『金葉集』以下の勅撰集に48首入集。歌集『行尊大僧正集』。

用意がいい行尊

行尊は三井寺で小阿闍梨といわれていたころから、大峰・葛城は言うに及ばず遠い国々の山々に苦行して歩きました。

後には白河院・鳥羽院などの護持僧となり、円満院の祖師天台の座主と称して修験道において高い徳を積みました。

修験道だけでなく、歌道・書道にも才能がありました。入寂の後も、仮名の手本として人々は行尊の書をありがたがったといいます。

鳥羽院の時代、内裏で管弦の御遊が行われていました。琵琶、筝、笛、和琴(わごん)、篳篥…それぞれの楽器を奏でて風流なことでした。帝は笛を遊ばされました。

この時行尊は護持僧なので法性寺の座主仁実とともにお前に侍っていましたが、花園左大臣が弾いていた琵琶「玄象」の三の糸が切れてしまいました。

「これはまいった。替えの糸の持ち合わせは無いし…」

その時おむもろに行尊が懐より琵琶の糸を取り出し、

「これを…」
「おお行尊…。なんと用意のいいことよ」

花園左大臣はさっそく糸をかけ替え、一晩中琵琶をかなで、御遊は大いに盛り上がり、明け方になって人々は帰って行きました。

さすがは行尊さま。なんたる準備のよさと、人々は感心しあいました。

大峰入りの事

大峰入りの始めはかの役行者と伝えられます。役行者は熊野の発心門から入り、これを順の峰入りといいました。

その後、この山に大蛇がすんで登ることができなくなったので、醍醐寺の三宝院の祖聖宝(しょうぼう)僧正が吉野から登ることをはじめたと伝えられます。

順の峰入り・逆の峰入り
順の峰入り・逆の峰入り

以後、人々は吉野から峰入りするようになりました。よって大峰入りは役行者が開祖で聖宝僧正が中興の祖といえます。

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