み吉野の山の秋風さよ更けて ふるさと寒く衣打つなり 参議雅経

みよしのの やまのあきかぜ さよふけて ふるさとさむく ころもうつなり (さんぎまさつね)

意味

吉野の山の秋風が吹きおろし、夜が更けて、吉野の夜は冷え込み、家々からは砧を打つ音がさむざむと聞こえてくるよ。


白峯神宮 蹴鞠の碑

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語句

■み吉野の 「み」は美称の接頭語。「吉野」は大和国。現在の奈良県吉野郡吉野町。■小(さ)夜 「さ」は接頭語。夜がふけて。 ■ふるさと 吉野は古く、天皇の離宮があった。大海人皇子が壬申の乱の前に吉野にこもったことが有名。 ■寒く 上から「ふるさと寒く」とつながり、下へ「寒く衣打つなり」とつながる。 ■衣打つなり 「衣打つ」は砧で衣を打つ。衣をやわらかくし、光沢を出すために、石や板の上に衣を置いて砧で打った。山里の女性の夜通しの仕事だった。「なり」は伝聞推定(聞こえてくる)の助動詞。

出典

新古今集(巻5・秋下・483)。詞書に「擣衣(とうい)の心を 藤原雅経」。『明日香井和歌集』の中の「詠百首和歌」にも。

決まり字

みよ

解説

山から吹き降ろす風に乗って、砧で衣を打つポンポンという音が聞こえてくるのです。聴覚に訴える歌です。強烈なわびしさが、耳に迫ります。

坂上是則「み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり」からの本歌取りです。冬の歌が秋の歌になっています。

参議雅経。飛鳥井雅経。藤原雅経(1170-1221)。鎌倉時代前期の公卿・歌人。刑部卿藤原頼経(難波頼経)の次男。母は正二位大納言源顕雅の女。侍従・左中将・右兵衛督などを経て参議に至ります。

父や兄は義経に通じていたため配流されます。しかし雅経は頼朝の信頼あつく、頼朝没後も二代将軍頼家、三代将軍源実朝に重用されます。その上、鎌倉幕府政所大江広元の娘を妻とします。源実朝とも親交を持ち、実朝と藤原定家、鴨長明との間を取り持ちました。

人に好かれる好人物であったと思われます。もっとも長明と実朝の会見は幕府の公式記録『吾妻鏡』には、「何度か会見した」と、ごくアッサリ書かれているだけで内容については何もわかりません。

後鳥羽院に厚遇され、鴨長明らとともに和歌所の寄人として『新古今和歌集』の撰者をつとめます。蹴鞠の名家・飛鳥家の祖でもあります。家集に『明日香井集』。

蹴鞠の名人としても知られ、飛鳥井流蹴鞠の開祖となりました。飛鳥井雅経の館跡に建てられたのが京都白峯神宮で、崇徳院の御霊を祭ってあります。蹴鞠つながりでサッカー選手の聖地としても知られ、境内には「蹴鞠の碑」があり、右上に埋められた蹴鞠を模した玉をまわすと勝負運がつくそうです。


白峯神宮 蹴鞠の碑

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