花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり 入道前太政大臣

はなさそう あらしのにわの ゆきならで ふりゆくものは わがみなりけり (にゅうどうさきのだじょうだいじん)

意味

桜の花を吹き散らして山風がまるで庭一面に雪が降っているように花びらを降りゆかせるが、 「ふりゆく」といえばむしろ私の身のほうだ。この身は老いていくのだ。

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語句

■花さそふ 花をさそって散らす。 ■嵐の庭」…嵐の吹く庭。 ■雪ならで 雪ではなくて。降りゆく花を雪に見立てる。実際に雪が降っているわけではないことに注意。 ■ふりゆく 落花が「降りゆく」とわが身が「古りゆく」を掛ける。 ■けり 詠嘆。

出典

新勅撰集(巻16・雑・1052)。詞書に「落花をみよ侍りける 入道前太政大臣」。

決まり字

はなさ

解説

縁側に出て、杯でも傾けながら、

(若い頃は血気さかんだったが…
俺も歳を取ったなあ…)

などと言いながら、ひらひら、ひらひら、
庭に降り散る花を眺めているのです。

「ふりゆく」の掛詞がポイントです。
花びらが降り注ぐの「ふりゆく」と、
年老いていくの「ふりゆく」が掛けられています。

「雪」と言ってますが、実際に雪が降っているわけでは
ないことに注意してください。

ヒラヒラ、ヒラヒラと雪のように花びらが舞い降る、
その様子を雪に見立てているわけです。

ちなみに、松尾芭蕉の門人・服部嵐雪の号はこの歌に由来していると言われます。

入道前太政大臣藤原公経(きんつね 1171-1244)。鎌倉前期の政治家。法名覚勝。内大臣藤原実宗の次男。母は藤原基家の女。親鎌倉幕府派の公卿として精力的に活躍しました。

承久の乱(1221年)の際、朝廷の討幕の動きをいち早く鎌倉に通報。そのため朝廷側から幽閉されるも、承久の乱の後はその功績により重く用いられます。

従一位太政大臣に至り、孫娘を入内させ、天皇家の外戚として権力をふるいました。多くの荘園や宋との貿易で財産を築き、権勢を極めました。

京都北山に菩提寺として西園寺を築き、これが西園寺家の名のもととなります。その跡地に、後世鹿苑寺金閣が建てられました。琵琶や和歌に通じ、『新古今集』以下の勅撰集に歌が採られています。

小野小町と西園寺公経

小野小町の歌と、趣向がよく似ています。

花の色はうつりにけりないたずらに
わが身よにふるながめせしまに

かつて美貌を極めた小野小町が、花の色をぼんやり眺めているうちに
はあ…私歳をとってしまったわと、小町は、嘆いているわけです。

「花さそふ」の、西園寺公経の歌と、
心において、通じるものが、ありますね。

花の色はうつりにけりないたずらに
わが身よにふるながめせしまに

花さそふ嵐の庭の雪ならで
ふりゆくものは我が身なりけり

…こうして並べてみると、ほとんど同じ話ですね。

はらはらと散る庭の花を見ながら
こっちの縁側では小野小町が、

花の色はうつりにけりないたずらに
わが身よにふるながめせしまに

あっちの縁側では西園寺公経が、

花さそふ嵐の庭の雪ならで
ふりゆくものは我が身なりけり

庭をはさんで、お互いにはあーとたそがれていた、
その時、
はっと目が合って。

(まあ素敵な殿方)
(どこの姫様であろう)

「いかかですかお茶でも」
「まあ素敵ですわね」

なんて言って意気投合したかもしれません。

百人一首の取り札を並べて考えると、
そういう場面が浮かんできて、ニヤニヤしちゃいますね。

花を見ながら老いていく我が身を嘆くというと、有名な漢詩がありますね。

古人また洛城の東に無く
今人また対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言を寄す全盛の紅顔子
應に憐れむべし半死の白頭翁
此翁白頭真に憐れむべし
伊れ昔紅顔の美少年


老年の気持ちを詠んだ詩として、
幾世代にもわたって共感を得てきた詩です。

もっとも、こちらは梅の花を見ながらの詩ですが…

さぞかし、老いさらばえた白髪の爺さんが
詠んだんだろうと思いますよね。

しかし、作者の劉希夷は20代の若者です。
老人の気持ちを想像してこの詩を作ったんですね。
しかも作者はわずか28歳で亡くなっています。

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