ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣
ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる (ごとくだいじのさだいじん)
意味
ほととぎすが鳴いた方角を眺めると、ただ有明の月だけが姿を残していた。
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語句
■鳴きつる方 今鳴いた方角。「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形。 ■ながむれば 動詞「ながむ」の已然系+接続助詞「ば」で確定条件。 ■有明の月ぞ残れる 夜明け方、まだ空に残っている月。「る」は完了の助動詞「り」の連体形で強意の係助詞「ぞ」の結び。
出典
千載集(巻3・夏・161)。詞書に「暁聞郭公といへる心をよみ侍りける 右大臣」。
決まり字
ほ
解説
ほととぎすは古文によく登場する夏の風物ですが、百人一首でほととぎすを詠んだのはこの歌のみです。ほととぎすの声を聴くことは何よりも風流とされました。平安貴族たちは一晩中起きていて、明け方にほととぎすの声を聴こうとまでしました。
歌人たるもの、ほととぎすの声を知らないことは恥だという風潮さえあったようで、以下の歌が残っています。
聞かずとも聞きつといはん時鳥人笑はれにならじと思へば(源俊頼)
(聞いたことがなくても聞いたことがあると言おうほととぎすの声は。人に笑われまいと思うなら)
杜鵑、不如帰、時鳥、子規、蜀魂などさまざまな漢字をあて、これだけでもほととぎすにいかに注意が払われていたかがわかりますね。
後徳大寺左大臣、後徳大寺実定(1139-91)。平安・鎌倉時代の公卿。右大臣公能の嫡男。母は権中納言藤原俊忠の女。俊成の甥。定家の従弟にあたります。
祖父実能が徳大寺家を開いたので、実定は後徳大寺実定と呼ばれます。
【徳大寺家】
近衛天皇・二条天皇の后となり「二代の后」といわれた藤原多子は実の姉です。
幼少で任官し1177年(治承元年)大納言兼左大将。1186年(文治二年)右大臣。1189年左大臣。朝廷と鎌倉幕府の間に立って奔走しました。
1191年(建久2年)出家。法名如円。同年閏12月16日に没しました。その日記を『槐林記(かいりんき)』といいます。小侍従、西行、藤原俊成、源頼政らの歌人と交流があり『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に入集。
梅が香に声うつりせばうぐひすのなく一枝はをらましものを(『千載和歌集』巻1・春歌上・27)
(梅の香にうぐいすの声が添えられれば、梅の一枝は折らないでおくのだが)
かなしさは秋の嵯峨野のきりぎりすなを古里に音をやなくらん(『新古今和歌集』巻8・哀傷歌・786)
(悲しいのは秋の嵯峨野のコオロギのようなもので、やはりあなたもそんなふうに故郷で泣いているのでしょうか)
実定はまた『平家物語』の登場人物としても描かれています。風流を愛する貴公子として。また世渡りのうまいちゃっかり者として。
希望していた右大将の地位を平家の宗盛に越えられて、実定はふてくされていました。
そこへ知恵のある家来が厳島神社に参詣するよう勧めます。実定は家来の言葉通り厳島神社に参詣し「どうか右大将にしてください」と祈ります。
それが厳島の内侍から清盛に伝わり、「そこまで右大将になりたいとは。いじらしい奴よ」といって右大将になれました(ただし実際に実定が厳島神社に参詣したのは年代がずれますので、この話は『平家物語』の創作です)
治承4年(1180年)、平清盛が福原に都を遷すと、平安京はたちまち荒れ果てます。実定は八月のある晩、月の光に誘われ、旧き都となった平安京を訪ねていきます。近衛河原には、姉の藤原多子(ふじわらのたし まさるこ)の御所があるのです。
多子は、まず近衛天皇の后となり、ついで近衛天皇が崩御すると、次の後白河天皇をへだてて二条天皇の后となりました。そのため「二代の后」と呼ばれました。
【「二代の后」藤原多子】
しかし二条天皇も若くして崩御し、この時は近衛河原でわずかな侍女に囲まれてひっそりと暮らしていました。
実定が多子の御所を訪ねていくと、多子は琵琶をかきならしていました。すっと実定が顔を出すと、「まあまあ、夢かや現か」と姉は歓迎します。女房たちも実定との再会を喜びます。
夜も更けてきて、実定は扇をひるがえしながら、今様を舞い歌いました。
旧き都に来てみれば浅茅が原とぞ荒れにける
月の光は隈なくて秋風のみぞ身には染む
その他、『平家物語』には所々に実定が顔を出します。後白河法皇が建礼門院徳子を訪ねる大原御幸にも、後白河法皇のお供の一人としてちらりと顔を出します。尼となった建礼門院に歌を書き贈っています。
いにしへは月にたとへし君なれどそのひかりなき深山辺の月
(その昔は月にたとえられるほど権勢をほこった貴女が、今は光も無い深山の月の下、わびしい暮らしをしておられますね)
けっこう失礼な歌ではありますね。
平家物語「月見」
↑後徳大寺実定を主人公とした章です。清盛が福原へ都を移し、最初の秋が来ます。実定は月の光に誘われ、荒れ果てた旧都を訪ねます。シミジミと風流な話です。