名にし負はば逢坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな 三条右大臣

なにしおわば おうさかやまの さねかずら ひとにしられで くるよしもがな(さんじょうのうだいじん)

意味

逢坂山のさねかずらが「逢う」「寝る」という男女の密会を表す言葉をふくんでいるとすれば、その逢坂山のさねかずらを手繰るように、人に知られずコッソリとあなたを訪ねていく方法があればいいのだが。

逢坂山関址
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嵯峨野の歌碑
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語句

■名にし負はば 「名に負う」は「~という名を持っている」。「し」は強調。全体で「~という名を持っているとすれば」。慣用表現。 ■逢坂山のさねかづら 「逢坂山」は近江(志賀)と山城(京都)の境にあった山。「逢う」の掛詞。「さねかづら」はモクレン科のツル状になった植物で赤い実をつける。「いっしょに寝る」ことを意味する「さ寝」と掛詞になり、「逢う」とは縁語。 ■「人に知られで」人にしられないで。「で」は打消しの接続助詞。 ■くる 「さねかづら」と関係して「来る」と「繰る」の掛詞。 ■もがな 願望の終助詞。「~したい」「~であればよい」

出典

後撰集(巻11・恋3・700)。詞書に「女のもとにつかはしける 三条右大臣」。実葛に添えて女のもとに贈った歌と考えられる。

決まり字

なにし

解説

逢坂山の南の峠には逢坂関がありました。伊勢の鈴鹿関、美濃の不破関と並び、「三故関」と称されます。逢坂の関は10番蝉丸62番清少納言にも詠みこまれています。

三条右大臣、藤原定方(873-932)平安時代、宇多・醍醐天皇の時代に活躍した公卿・歌人。三条に館があったので三条右大臣(さんじょうのうだいじん、さんじょうのみぎのおとど)と称されます。

父は藤原高藤、母は宮道弥益の女。延喜9年(909年)参議となり、大納言、右大臣と出世を重ねます。最終官位は右大臣従二位兼左近衛大将。紀貫之汎河内躬恒らの庇護者でした。

「堤中納言」と言われた藤原兼輔とは良門を祖父として従兄弟同士で、しかも兼輔は定方の娘を妻とし親密でした。

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