人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける 紀貫之

ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞむかしの かににおいける

意味

あなたのお気持ちは変わってしまったか、昔のままか。さあどうでしょうか。私には知りようもありません。ただ言えるのは、この梅の花だけは昔のままの香りを漂わせている、ということです。

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語句

■いさ 下に打消しの言葉、多くは「知らず」を伴って「さあ…でしょうか」。軽くいなすような言い方。 ■ふるさと 出身地ではなく、「昔なじみの土地」。 ■花 ここでは詞書から梅の花。平安時代、一般に「花」というと桜だが。 ■にほふ ここではよい香りに匂い立っていること。一般には色彩が華やかなこと。

出典

古今集(巻1・春上・42)。詞書に「初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に久しくやどらで、ほどへて後に至れりければ、かの家のあるじ、かくさだかになむやどりはある、といひ出して侍りけりば、そこにたてりける梅の花を折りてよめる 貫之」。『貫之集』にもある歌。

決まり字

ひと

解説

歌の詠まれた背景は、『古今集』の詞書に詳しく書かれています。紀貫之が、大和の長谷寺に参詣するごとに立ち寄っていた宿がありました。長谷寺は十一面観音を本尊とし、平安時代に人々の信仰を集めていました。

何年かの無沙汰の後、紀貫之がその宿を久しぶりに訪ねると、宿の主人は「ずいぶん来てくれませんでしたね」そんなことを言います。

それに対して貫之は梅の花に添えてこの歌を贈りました。

さらに古今集には宿の主人の返歌が続きます。

花だにもおなじ心に咲くものを植ゑけむ人の心しらなむ
(花でさえ昔と同じ心のままに咲きますのに、ましてそれを植えた人の心を覚えていてほしいものです)

なかなか機知に富んだ受け答えで、ニヤリとさせますね。

作者 紀貫之

紀貫之(871?-946)平安時代の歌人・官人。『古今和歌集』の選者として有名で、とりわけその序文「仮名序」は有名です。『土佐日記』の作者、『新撰和歌』の編者としても知られます。三十六歌仙の一人。33番紀友則の従兄弟。父は望行。家集に『貫之集』。

40歳なかばでようやく従五位下となり、930年土佐守に任じられるも最後は木工権頭(もくのごんのかみ)従五位上で終わります。役人としての紀貫之は不遇でした。

しかし歌人としての紀貫之は今日に至るまで輝かしい名声をとどろかせています。早くは892年「是貞親王家歌合(これさがのみこのいえのうたあわせ)」「寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおおんとききさいのみやうたあわせ)」に歌を残しています。

延喜5年(905年)、醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集『古今和歌集』の編纂事業がはじまると、紀貫之は紀友則凡河内躬恒壬生忠岑らとともに編者に選ばれます。

業半ばにして従兄弟の友則が亡くなると、貫之が『古今和歌集』編纂の中心人物となります。貫之自身の歌も最多の102首が入れられ、仮名による序文「仮名序」を執筆しました。「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」有名な冒頭部分は今日でもよく教科書に採りあげられています。

また「仮名序」の中で3番柿本人麻呂4番山辺赤人8番喜撰法師9番小野小町など多くの歌人の批評を書いています。紀貫之の批評は言葉が華麗すぎて褒めてるのかけなしるのかよくわからないという特徴がありますが…。

『古今集』以後歌人としての活躍はすさまじく、特に当時流行していた屏風歌を得意とし貴人のもとから屏風歌制作の注文が絶えませんでした。

延喜7年(907年)宇多法皇の大堰川御幸に付き添い9首の歌と序文を捧げ、延喜13年(913年)宇多法皇の御所「亭子院」で開かれた「亭子院歌合」でも歌を詠んでいます。

延長8(930)年 土佐守に任じられますが、赴任直前醍醐天皇より『新撰和歌』編纂の勅命が下ります。しかし土佐赴任中年醍醐天皇が崩御したので貫之は歌集を手元にとどめ発表しませんでした。

935年土佐守の任期が切れ、一家は京へ引き返します。その途中の主に船旅を、女性に仮託してつづったのが『土佐日記』です。笑いあり、涙ありの旅路…特に赴任中に失った愛娘をしのぶくだりは涙を誘われます。

また『土佐日記』には7番阿倍仲麻呂の歌「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」が引用されています。ちなみにこの年関東では平将門の乱が起こっています。

帰京後は主に藤原氏からの注文によって屏風絵を製作するなどして晩年に至ります。

貫之は書家としても有名だったそうですが、貫之自筆とハッキリわかっている筆跡は無く、詳しいことはわかっていません。

墓は滋賀県大津市、比叡山中腹の裳立山(もたてやま)にあります。

長谷寺は真言宗豊山(ぶざん)派の総本山で飛鳥時代の創建です。本尊の十一面観音像は室町時代に作られたもので、右手に錫杖を持つ10メートルの巨大なもので長谷型観音といわれます。恋愛成就の寺としても知られます。

『枕草子』や『源氏物語』など古典文学にも多く登場し、また恋愛成就の寺としても有名です。桜、牡丹、紫陽花など、花の名所としても知られます。百人一首には35番紀貫之と74番源俊頼の歌に詠まれています。近鉄長谷寺駅から徒歩20分。

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